<ブログには場違いな硬い文章で、
そんなことないですよ。
もしそうだとしても、それが「個性」なのではないでしょうか。
文調の硬軟というよりは、jamjamさんのブログは内容で勝負ですからね。
私もjamjamさんの1ファンとして
これからも読ませていただきます。
⇒ところで、私のように、文末に「よ」とか「ね」とかつけると、
慣れ慣れしく思われるでしょうか?
柔らかいタッチの文にしようとすると、
どうしても話し言葉風になってしまいますので・・・
最近飲食店で注文をすると、必ずといってよいほど 《以上でよろしかったでしょうか》 と訊かれる。これは若い子だけではない、そこそこの年齢に達しているオバチャンでさえそうなのだから恐れ入る。僕はときどき《以上でよろしかったですよ》と答えてやるのだが、相手は僕の 「からかい」 が解らないようだ。 この言いまわしが文法的に変だということは、《なぜ現在形で言うべきところを過去形にするのか》、《一つしか注文していないのに 「以上」 はないだろう》ということだが、僕がもう一つ気にかかることがある。それは、最近の話し言葉がだんだん硬くなっていることである。 飲食店では 《何名さまですか》 と訊かれることも普通になった。「以上」 もそうだが 「何名」 というのも話し言葉を硬くしている一因である。それは、どちらも 「漢語」 的であって 「大和言葉」 でないからだ。僕は 「何人さんですか」 と訊かれた方が嬉しく、ほっとした気分になるのだが…。 話し言葉が硬くなっているのは、「接客用語」 に限らない。僕はラジオ人間で始終ラジオを聴いているが、頻繁に出てくる 「交通情報」 でも硬い言いまわしが多い。《○○線の通行止めは解除となりました》 というのがあるが、これは 《解除されました》 と言うべきである。それはともかく、問題はこの 「…となりました」 である。「…となる」 は 「役所的」 書き言葉で、話し言葉では 「…になった」 と言うのが普通であった。また 《××から事故の一報が入りました》 というのもあるが、「一報」 とは 《いつの時代の言葉だ》 と言いたくなる。まるで戦前にタイムスリップしたようだ。もちろん交通情報という性格もあるだろうが、少なくとも放送を担当している 「うら若い乙女」 の使う言葉ではない。これは彼女らが読む原稿をつくった人の日本語に対するセンスの問題で、決して彼女らのせいではないのだが…。 このように現代日本語の語感が年々硬くなっている一方で、書き言葉が話し言葉ふうになっていることもまた事実である。これはブログというものが一般的になってからだと思う。ブログは 「日記」 的なものから始まったと僕は解釈しているが、日記という極めてプライベートな性格の文章が、そのまま不特定多数を対象にしたブログになったのである。そして、その文体だけでなく絵文字というものまで登場した。ひょこむのブログでもそうしたものが多く、気軽に楽しく読んでもらえるものが多数を占めている。 僕もひょこまーになりブログを書くようになってから、何とかブログらしいブログを書こうと努力はしてみたが一向に 「上達」 しないから今は諦めている。僕のような戦中派の旧人類には体質的に無理であることが分かったのである。これは民放テレビとマンガで育った団塊世代以降の人たちでないとできない芸当だと思っている。もちろん例外もあるが…。 かくして、ブログには場違いな硬い文章で、これからも皆さんの目を汚すことになりそうである。 |