経済学者でスタンフォード大学元副学長のウィリアム・ミラーは、1990年代に起こった米国の奇跡的経済復興を牽引したシリコンバレーのリーダーのひとりです。彼は口癖のように「シリコンバレーは日本に学んだ。今度は米国が日本にお返しをする番だ」といい、1980年代に日本政府が全国展開した「テクノポリス構想」を下書きにして自らのプランを計画したと語ります。それまで行政と民間企業が連携することのなかった米国文化の中で、彼らの描いた「ジョイントベンチャー・シリコンバレーネットワーク(JV:SVN)の青写真は、「産学官民が連携する」という日本の設計思想を一段進めて、パートナーシップからコラボレーションに進歩させたところに大きな成功の鍵があったと言えます。この方式は「Joint Venture Way(ジョイントベンチャー方式)」と呼ばれて、その後世界各地に拡がることとなります。 ミラーは「地域を変えるには、有効なサイズがある」と断言しています。「東京や大阪は大きすぎて、誰かが必死にもがいてもその効果はすぐにかき消されてしまう。大きな規模のエリアを一気に対象とした場合には、とてつもない時間を要するだろう。最も有効な規模は行政的に同じシステムを持つ(単一行政下の)10万人以下、できれば5~7万人程度の範囲だ」 ミラーのこの言葉は、現場の実践者としては体験的に理解ができます。小さな自治体のまちづくりは、キーパーソンの存在が明確で、連携が成立すれば非常にスムーズにプロジェクトが進んでいきます。彼は、フロントランナーとなる小さな(エリアでの)成果をモデルとして、周囲の同じような規模の自治体に展開する戦略を語っていたのです。もうひとつ、彼は「共有文化圏」という意味のキーワードを指摘しています。例えば、シリコンバレーと呼ばれる範囲は一般的に十数の行政エリアのことを指すが、その中では「気質」とも言える共通の住民意識が存在する。ミラーは地域活性化計画を起草するときから、この「共有文化圏」に注目し基盤として考えていたのです。狭いエリアからより広い大きな範囲へ、地域づくりの影響は波紋のような同心円ではなく、分散協調しながらエリア内のあちこちでまるで狼煙をあげるかのように拡がる。その連携基盤として情報化が大きな役割を果たしていたのです。 |