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2011年11月19日(土) 
 置塩城の麓にある櫃蔵神社。暦応3年(1340年)に創建されたらしい。置塩城の守護神を廃城後に分祀したとされる。祭礼の絵馬など、拝殿に絵馬多数。

閲覧数426 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2011/11/19 21:00
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2011年07月09日(土) 
 10年程前、高坂好氏の『赤松円心・満祐』と、熱田公監修・播磨学研究所編『赤松一族の盛衰』を、赤松氏研究の入門書として読んだ。『赤松一族 八人の素顔』も、最新の研究成果を踏まえており、入門書として最適だと思う。
 鎌倉時代後期の赤松氏を河川・海上流通に関与した悪党的存在と見なすか、関東御家人と規定するか、執筆者の間でも見解を異にするが、あらためて赤松円心は魅力的な存在だと感じた。
 南北朝時代・室町時代の国衙、坂本納所、白旗城、城山城や、戦国時代の室山城、置塩城などの政治拠点の変遷も、一通りたどれて勉強になった。

閲覧数1048 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2011/07/09 14:09
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2011年06月25日(土) 
 福岡藩では、黒田家の先祖調査を度々、行っていたらしい。最近、福岡市博物館では「黒田家のご先祖さがし」(http://museum.city.fukuoka.jp/je/jje_fr3.html )という展示があったみたいだ。
 姫路文学館でこの前、特別展「黒田官兵衛の魅力」を拝観したが、結構、勉強になった。文政12年(1829年)に、福岡藩が黒田職隆の墓所を補修したときに作成した記録が「播磨古事」で、妻鹿村絵図の部分が写真展示されていたが、それによると、「御厩」と呼ばれる田地が国府山城の南にあったようだ。黒田氏略系図(西脇市黒田庄町荘厳寺蔵)も展示されていたが、この系図では、播磨多可郡黒田城主の

閲覧数1941 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2011/06/25 22:44
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2011年06月25日(土) 
 嘉吉の乱後、播磨を支配した山名氏の拠点が姫路市青山にあったというが(姫路市教育委員会文化部文化課 文化財見学シリーズ40「『青山地区』をたずねて」 http://www.city.himeji.lg.jp/s110/2212786/_10509/_1…10512.html )、一次史料では確認できなかったように思う。『播磨鑑』などに記述があるのだと思う。山名宗全が建てたとされる宗全寺跡には五輪塔がいくつか集められている。太田垣氏が建立した法灯寺は、今は遠山(どやま)の地蔵尊となっている。青山の西端の小丸山には山名宗全の屋敷があったという。
 青山は夢前川の右岸に立地し、川湊であったのかもしれない。山陽道

閲覧数1063 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2011/06/25 21:05
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2011年03月20日(日) 
 ここ、一週間、悪い夢を見ているかのようだ。特に原発の危機は、東電が元々、抱えていた問題が事態を悪化させてしまったと思う。東電や政府の初期対応の失態は、今後、厳しく検証される必要があると思う。原発問題など普段は隠れていて、見えにくかった日本の諸々の問題が、結果的によく見えるようになってしまった。

 今回の地震は貞観地震以来の大地震・大津波だったらしい。保立道久さんのブログ(「保立道久の研究雑記」http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/ )によると、9世紀末の貞観年間前後の時代は富士山の噴火や肥後国地震、播磨国地震など、火山・地震の活動が活発な

閲覧数948 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2011/03/20 11:53
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2011年02月12日(土) 
 展示物は高橋秀吉コレクションの姫路及び姫路周辺の写真や近現代の地形図、絵葉書など。姫路城下町が近現代にいかに変遷したのかを、歴史地理学的に把握できた。それにしても空襲で姫路城下町の大半の町家が焼失してしまったのは、つくづく惜しまれる。戦前に姫路城の三の丸で行われた博覧会(大正15年の全国産業博覧会と昭和11年の国防と資源大博覧会)の様子も、ある程度、把握できた。

閲覧数923 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2011/02/12 18:36
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2011年02月10日(木) 
 緊急特番のNHKスペシャルを見た。明治時代から、すでに八百長問題が新聞に取り上げられたりして問題になっていたようだ。
 これまで、八百長の噂は耳にしており、なかには八百長相撲もあるだろうとは思っていた。でも、ほとんどの相撲はガチンコだと思って見ていた。
 相撲には元来、神事的な部分や興行的な側面も多分にあるので、純粋なスポーツとは違う側面も多い。なので、八百長的な部分も必要悪として許容される部分もあるのかなと思ったりしていた。八百長だけで横綱になれるわけがないし、横綱含め番付上位者の実力は相当なものだと思う。
 某大横綱の連勝記録

閲覧数907 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2011/02/10 00:05
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2010年12月30日(木) 
 千田さんの番組(『体感・実感!にっぽんの名城』http://www.nhk.or.jp/shumi/wagoku/ )が始まるようなので、再読。あらためて、色々と気付かされる点が多かった。城郭を中心にした中世地域社会の有機的な結合(港町、寺社、村落、流通、祭礼、葬制、市場、田畑など)を解明することが、今後の城郭研究の課題であり、城郭の縄張把握のみに止まってはならない、ということが繰り返し述べられており、共感を覚える。

閲覧数1096 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2010/12/30 21:43
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2010年11月20日(土) 
 藤田達生さんの本能寺の変研究の集大成的な本。足利義昭が本能寺の変の黒幕だったというより、光秀が本能寺の変に際して義昭を推戴したというふうにニュアンスが変わってきているように感じた。織田政権内の内部的な矛盾が政権末期には相当、大きくなっていたようで、そのあたりに本能寺の変の原因があったようだ。本能寺の変に関する史料が網羅的に収録されており、歴史の臨場感を味わえる好著だと感じた。

 小寺政職が鞆幕府の構成員だったという考えは、研究の少ない小寺氏を考えるきっかけになると思う。別所重棟が本能寺の変に際して光秀に同意し、播磨・丹波の牢

閲覧数1573 カテゴリ日記 コメント1 投稿日時2010/11/20 16:39
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2010年11月16日(火) 
 旧石器捏造事件に不特定多数の考古学者が関わっていたのではないかという、戦慄を覚える内容。毎日新聞のスクープ以前に、既に捏造を指摘していた角張淳一さんの指摘だけに、非常に重く受けとめる必要があると思う(今の考古学界は無視・黙殺するのかもしれないが…)。シナリオを書いた黒幕がいて、藤村新一さんは実行犯的な役割を果たしただけということなのだろうか。藤村さんの犯した罪が軽減されるわけでは無いが、事件後の藤村さんは多分にスケープゴートにされた側面もあるようだ。

 衝撃の事件から10年たったが、この事件の背後にある闇は驚くほど深いように

閲覧数2091 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2010/11/16 22:15
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