いや~、参考になりますね。
ありがとうございます。
播磨夢路さんのブログで桜橋の話題が出たので、便乗して現在の大手門の事を書きます。 城巽校区の多田耕造さんが、桜門の復元図を書いて下さいましたのでアップします。桜橋を渡り切ったところに桜門があり、この桜門は脇門付高麗門で、伏見城から移築されたものと言われ、この門をくぐると番所があった様です。桜門を潜ると現在の大手門のある場所に桐二ノ門でありました。この門も脇門付高麗門で、これを潜ると番所と井戸があり、来訪者はぐるっと西方へ方向転換させられ、ここに姫路城の正門と言える桐一ノ門がありました。この桐一ノ門も脇門付高麗門で、左右両柱上の冠木の飾に金色の桐紋が打ちつけられていたために、この名があり、これもまた伏見城からの移築と言われています。 三ノ丸の本城は、姫路城が兵部省の管轄となった後も、姫路県の県庁舎として使用されていましたが、元日赤があった薬師山に移転が決まった後、、三ノ丸にあったすべての建築物が撤去され、姫路第十連隊が三ノ丸に入りました。その時、桜門、桐紋も取り除かれ、桜橋は重火器の通交に耐えうる土橋に架け替えられたと言います。 第十連隊が鳥取に移り、姫路城や姫山が開放された時、三ノ丸再興計画のもと昭和10年に再建されたのが、現在の大手門で、もとの桐二ノ門とは似てもにつかわないものです。 左のイラストは多田耕造氏のもの、右の写真は第十連隊時代の大手門の写真です。 |