人の命をどう考えるのか・・・・
今、僕はこの国が定めた新しい制度のスタートに大きな疑問を感じている。
派手に議論されている道路特定財源と比べて、大きな議論をされることなく粛々と進められ、ついに4月からスタートする新制度、それが当面75歳以上を対象とした「後期高齢者医療制度」だ。
僕の母親は、70歳になるが、呼吸機能障害のため障害者医療を受けており、現状の国保か新制度かを選択しなければならなくなった。
先週、その案内(読んでも理解しづらい)が届いたので、市役所へどちらを選択すべきか相談に行った。
1階の福祉課へ行くと、相談は6階だと告げられる。
高齢者福祉の相談をなぜ6階の一番奥の部屋で・・・・と疑問にも思ったが、とりあえず言われた部屋へ向かった。
暗い廊下の一番奥、部屋に入って説明を聞く。
「条件はあまり変わらないが、どちらかを選択・・(略)・・」ということだが、こちらからの質問にも答えてもらい、いろいろ分かった。
新制度と現制度の国保は金額が違います。
当然人によって金額の大小の感覚は違うでしょう。
うちの場合には数千円の負担増。
これは2年間の暫定的な金額なので、恐らく今後の負担は上がるんでしょう。
「医療費の増大で国もたいへんだから・・・」がこの制度を作った理由ということらしいのだが、同じ所得でも選択の仕方で負担金額が変わるという矛盾はいかがなものか。
「とりあえず安いほうでお願いします」と伝え、現在の国保そのままを選択し、勝手に移行する後期高齢者医療制度への加入を撤回する届けをしてきた。
窓口負担金額など他の条件は今と変わらないという説明を聞いた上で。
ところが今日午後、市から電話。
「県から連絡が来て、お伝えした内容に変更がありました」
「え??」
うちの母親の場合、今のところ病院窓口で払っている金額は1回500円。
それが今日の話では、県の方針により窓口では1割負担となり、3ヶ月ほどして差額が口座に戻ってくると言うが・・・。
結果として同じ金額だから良いといえるのだろうか。
そして、「新制度にすれば窓口負担は変わりませんよ」だ。
結局そうなるか・・・。
窓口負担の増を呑むか、保険料増を呑むか。
結局、新制度を選択することとなった。
テレビに出てくる国会議員の中には「老人も元気な人が増えている。病院に行かなくてもいいように予防医療に力を入れるべき」と言う人もいる。
たしかに健康な人はそうだろう。
だが、例えばうちの母親の場合には在宅酸素と呼吸器のリース、月2回の定期診察に多くの薬代、年に1,2回の入院代など、1割であっても突然の制度の移行は負担がかなり大きい。
父は元気でよかった・・・・・・・。
これが例えば独居年金生活者の場合どうだろう。
国の借金が増えているから・・・そのことと一部裕福な老人層を除き、多くの老人や弱者に負担を強いることはリンクさせるべき問題ではないはずだ。
この負担だけではなく、金額は上がっても利用を削られる介護保険の負担もあるわけだから。
2週間ほどしか相談期間を設けず、6階奥まで年寄りを歩かせる市。
市の対応が進んでいるにもかかわらず、想定外の方針を出す県。
庶民の生活を理解しているとは思えない国。
日曜日まで電話対応に追われて仕事をしている職員の人たちの苦労は住民として感謝すべき事ではあるが・・・・
だからこそ文句は言いづらいのだが・・・・
もっと分かりやすく、理解納得しやすい制度にすれば、誰も苦労しないのだ。
負担増は仕方ないことでも、もっと単純なシステムにして、パンフレットももっと分かりやすく作れば混乱だけでも少しは緩和できるはず。
そんな分かりやすさも優しさだと思う。
とにかく、心を失ったかのような福祉政策はどうにかして欲しい。