荒木飛呂彦「jojoの奇妙な冒険」より。シゲチー
〝発見〟(意味の発見)としての芸術なんて、私たちを落ち着かない気分にさせるだけだし、良いのかどうかも解んないし、あんまり興味わかないな。
やっ ぱり世間的に認知された有名で〝確実〟 な芸術の方が安心して見れるものね。 〝確実〟? どういう意味かっていうと、意味も 価値も固定されていて、解説や但し書きがたっぷりあって、美術年鑑なんかにのってる感じの芸術だね。 え?美術年鑑はお金払ったら誰でも乗せてもらえるの? へ~。 …ともかく、再認とか再想起としての芸術だから、わざわざ意味を発見するなんてめんどーなコトする必要ないじゃない。 どこに持って行っても言うまでもなく通用するのだから、自分まで偉くなったような気にさせてくれるし。 こういう芸術なら知っていて教養としても誇れるし、所有してれば鼻も高いってものだ。
こんな確実な芸術があるのに、それとは別な芸術がある意味がわかんないなぁ。 好きでやっているとは言え芸術家だって有名になって売れっ子になりたいわけだろう? 人と同じことをしていたら目立たないし、なにか変わったことをしなきゃならないのだろう。 ま、売れるものを作れるようになるのも簡単じゃな いのだろうね。 ともかく有名にならなきゃね。脚注1
それにしても発見としての芸術ってなんなんだ? 芸術と言ったって所詮は一つの自明で通俗的な〝商品〟と言う意味に過ぎないのだから、いまさら意味を発見する必要がどこにあるのかなー? もし芸術が相互主観的脚注2な意味しか持たないなら、おまけにその意味が未完で常に変化しているのなら、評価や価値の定まりようがないでしょう。 そんなアイマイモコなものにお金出せないじゃーん。 芸術も商売の一つでしょ? 売れなきゃ意味ないじゃん。 わかんなくとも有名ならいいけど、無名でわかんない芸術なんて不愉快なだけだよ。
なのになにゆえわざわざ芸術家は〝不確かな果て知れぬ海〟や〝道なき開かれた地平〟を 目指すのだろう? 発見と言ったって、いったい何を発見するというのだい? まったく理解不能だね。
と、この前 シゲチーが言ってたよ。
脚注
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