目に見えぬ言語の格子(invisible grid)が張り巡らされる以前の 身体的感覚をよみがえらせるんだ。 それはとてもなつかしい感覚だ。 身体的感覚というのは感覚の諸要素の単なる集合体ではない。 すべての感覚は境界のない有機的な全体をなしていて、 脳のニューラルネット同様中枢を持たず、 視覚・触覚・聴覚などと機能的に単純に分けられるものではない。 眼で触り、手で聞き、耳で見ることもできるのだ。 ビューロクラシー(bureaucracy)のような位階も縦割りも身体ではあり得ない。
個体の生きる道を探ることは同類の生きる道を探ることと切り離せない。 同類の生きる道を探ることは異類の生きる道を探ることと切り離せない。 異類の生きる道を探ることはすべての生命の生きる道を探ることと切り離せない。 すべての生命の生きる道を探ることは環境世界を探ることと切り離せない。 人間以外の生き物は 食ったり食われたり、増えたり減ったり、進化したり絶滅したりしながらも いつでも全体と繋がっているのだ。 それが身体的感覚だ。 こんな当たり前なことも人間は解らなくなってしまっているんだね。
用語解説
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