“廃墟空間”においては、一切の生産が“あそび”になる。
世のもっともシリアスなことが哄笑のタネになり、
意味が無意味になり、
価値が無価値になる。
革命も戦争も、“革命ごっこ”になり“戦争ごっこ”になる。
時間、価値、意味等を完全に除去されたこの空間[廃墟]に、
世界と、その文明の一切をおいてみると、
そこでは、認識されるあらゆるものが、一切の秩序をはなれて、
完全なる等価値――あるいは無価値と、同時併存性をもつことに気づくだろう。
小松左京「日本アパッチ族」後書きより