2,665万kW/2,861万kW (09/19 13:40)
93%
■バックナンバー
■外部ブログリンク
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://hyocom.jp/blog/blog.php?key=203877
2012年08月23日(木) 

 

「趙州の言おうとしたことはこうだ。

 

彼は美が認識に守られて眠るべきものだということを知っていた。

 

しかし個々の認識、おのおのの認識というものはないのだ。

 

認識とは人間の海でもあり、人間の野原でもあり、人間一般の存在の様態なのだ。

 

彼はそれを言おうとしたんだと俺は思う。

 

君は今や南泉を気取るのかね。

 

……美的なもの、君の好きな美的なもの、

 

それは人間精神の中で認識に委託された残りの部分、剰余の部分の幻影なんだ。

 

君の言う『生に耐えるための別の方法』の幻影なんだ。

 

本来そんなものはないとも云えるだろう。

 

云えるだろうが、この幻影を力強くし、能うかぎりの現実性を賦与するのはやはり認識だよ。

 

認識にとって美は決して慰藉ではない。

 

女であり、妻でもあるのだろうが、慰藉ではない。

 

しかしこの決して慰藉ではないところの美的なものと、認識との結婚からは何ものかが生まれる。

 

はかない、あぶくみたいな、どうしようもないものだが、何ものかが生まれる。

 

世間で芸術と呼んでいるのはそれさ」

 

 

三島由紀夫「金閣寺」より

柏木の台詞

 


閲覧数435 カテゴリ★Conjuration----引用のモザイク 投稿日時2012/08/23 19:30
公開範囲外部公開
■プロフィール
chronosさん
[一言]
「カテゴリ」から入ってください。★は連載中、■は完結したシリーズで…