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2007年10月17日(水) 
本人さんの了解を得て、アップしています。


<姫路城跡整備基本構想はどこへ>

姫路城の周辺整備にはざっと1000億円の税金がつぎ込まれたという。
担当者の努力で、城周辺は整備が進み、見違えるように美しくなった。
振り返れば、昭和42年に大蔵省、文化庁、兵庫県、姫路市、四者で姫路城跡周辺地区整理促進協議会を立ち上げ、将来計画を作った。いわゆる四者協定である。
昭和61年には文化庁、兵庫県、姫路市が協議を重ね、「姫路城跡整備基本構想」が策定された。
計画に沿って姫山住宅始め、市役所、検察庁、裁判所、労働会館、中央保健所、税務署、商工会議所など移転。お城マート、白鷺町も整備された。
基本構想の原点は、江戸時代の修景復元である。しかし、実際は本来の構想と方向が違っている点が多々ある。
このたびは、学者先生方を含めた(新)姫路城跡整備基本構想で、再策定されている。内容は今まだ公表されていないが、「江戸時代の修景復元」が後退していないことを願っている。
この際、姫路城跡整備基本構想を見直してみたい。
本質を見極めない整備は、整備という名のもと、城下町破壊へと進む。
紙面の関係で多くは書けないが、船場川、千姫の小径、中濠還流計画、トイレ整備、御屋敷跡売店、桜門橋などは、基本構想の本質を見通していない。
船場川については、河川本来の持つ浄化機能を生かす為にも護岸は雑割石積とし、川底については、自然形態の河川とするべし。とあるのに、川底・護岸はコンクリートやブロックで固められている。川に架かる妹背橋と車門橋の復元は鉄筋橋でなされた。出石城の登城橋は、どこから見ても古工法の木橋だ、太い材木の芯にH鋼を入れている。
千姫の小径は、外灯が灯され、柵が設置され、彫刻が置かれ、路面が舗装された。整備前の情緒ある風景がなくなり、寂しい限りだ。
坊主町付近の中濠は狭められた。かなり埋められたのである。教育委員会は昔の遺構は掘り返せば残っているから、将来、復元か可能という詭弁をいうのである。
整備美化事業の一つにトイレがある。2億円の近代的な休憩所兼トイレ、論外である。三の丸と搦め手のトイレ、いずれも天井の高い鉄筋コンクリート造りである。内曲輪の建物外観は木造に限る。赤穂や龍野でも木造の公共トイレを造っている。
大手門前周辺整備の総仕上げというべき、御屋敷跡公園と桜門橋については、
整備行き過ぎである。整備という観点のみから、担当者は事業を進めたのである。
しかし、彦根のキャッスルストリートは姫路の家老屋敷跡売店と格段の差だ。高山や彦根、津和野などのような情緒ある町並みが家老屋敷跡に復興、絶好の機会であった。
桜門橋構想は木橋復元だったのに、検討会で2スパンの城に不似合いな鉄橋になった。後退であり、残念だ。急ぐ必要はなかった、本格的な木橋の実現を見るべきだった。木橋については、彦根、和歌山、松江、赤穂、その他多くの城では遺構に沿った本物の木橋を造っている。
姫路城跡整備基本構想の名称を姫路城歴史都市構築構想に名称変更すれば、担当者も市民も意識が変わるのではないかとも思う。

閲覧数1,429 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2007/10/17 09:09
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