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海を、空を、山をずっと見ていられるような場所で生きていたい。 暑さや風や雨や光に飢渇しているのだ。 うねうねと走る川のひとつひとつを見分け、 轟々と流れる水に耳を傾け、 風のそよぎを感じたい。 人間の街にはうんざりだ。 人間の言葉にはうんざりだ。 世界の前に遮蔽幕を引くように、 ぼくの欲望を邪魔している。 ぼくは再び見出したい。 誰ひとり話をしない国を、 羊飼いや漁師たちしかいない風と光にあふれた静寂の国を。
この欲望が身体の中で膨らんでいき、 陽光のように高まって地平線まで、 空間の果てまで至るほど大きくなると、 名前という名前は消え失せ、 起源はなくなってしまう。 もう、宇宙を覆いつくすこの時間だけしか感じたくない。 あたりに漲り生成の源となっているこの理法だけしか感じたくない。 それは、誕生したいという欲望、 開闢の日に立ち会いたい、 尽きることのない世界の力を目の当たりにしたい、 と言う欲望だ。
大地に触れ、大地を掴み、大地の匂いを吸い込みたい。 大地とぴったり結びついていたい。 どうして人間は何から何まで名づけようとするのだろう? どうして足を止めてしまうのだろう? ぼくの欲望は始まりも終わりもない旅に似ている。 滑空でもしているかのように、 茫漠とした広がりのなかで宙吊りになったままだ。
この欲望を満たしてくれるのは、 それが男であれ女であれ人間ではない。 錯綜する彼らの言葉は、 電波のような耳障りな音で部屋を満たし、 通りを満たし、街を満たしている。 それが時として、 見たり聞いたり匂いを吸い込んだりするのを妨害するのだ。 現実を求めて飢渇しているぼくには、 獣たちの孤独がうらやましい。
そんな時には、欲望が膨れあがるに任せ、 空飛ぶものと一緒に出発する。 彼らはぼくを風に乗せて運びながら、 光の道を辿ってすさまじい速さで飛んでいく。 大空を舞うものたちは、 ぼくのさまよう欲望の伴侶だ。 彼らとともに、大地を、海を、空を 沈黙に包まれたままあてもなく巡ると、 すぐに幸福に満たされる。
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だが人間がいるのはどこなのか。 生命があるのはどこなのか。 彼らは本当に、世界というのは覚え込むだけの学科、 あるいはルールを知るだけで充分なゲームであるなどと 信じているのだろうか?
生きるというのはそんなものではない。 それは次に何が起きるか予測することのできない永遠の冒険だ。 語られることのない物語、 飛躍と炸裂を繰り返しながら進んでいく物語だ。 風のように、水のように 包み込み、染みわたり、明るく照らし出す。 それは誰のものでもない。 知ること、感じ取ること、 それは世界を所有しようとすることではない。 常に打ち震えていたい、 あらゆるものが外からやってきては横切っていき、 そしてまた現れるような通過点になりたい、 自然の諸力が宿る場に、 光が君臨する場になりたい、と望むことなのだ。
無となること。 深々と澄んだ水滴のように、 大空のように、 平野のように、 真の無となること。 無になるとは、底なしの深淵に飲み込まれるように 自分がなくなることではなく、 自らの身体と心をどこまでも広げていって、 宇宙全体を覆いつくすことだ。 己を広げること、 口を閉ざすこと、 そしてもう誰とも会わないことだ。
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「地上の見知らぬ少年」J・M・G・ル・クレジオ より |