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2011年02月23日(水) 

 

上手に作ろうとしてはダメだよ。

心が自由でなくなってしまう。

力が入って身体が楽しめなくなってしまう。

制作で一番大切なことは動機や目的を忘失してしまうことだ。

するとほら、

気がついたら上手に作れていたりする。

 

上手に作ろうなんて思わなくても作品はできる。

作品はできてくるものなんだ。

作品ができてくるのはおもしろくてしかたない。

なぜこんなものができてくるのか。

不思議でしかたない。

 

形が現れる。

手が触れ形は変わる。

形が変わると心も変わる。

心が変わると手の動きが変わる。

手の動きが変わると形が変わる。

形が変わると心も変わる。

心が変わると……。

 

まるで果てのない旋回舞踏だ。

極小のスリップ(microslip)が旋回する。

イントリンジック(intrinsic)な回転(spin)ダンスだ。

回転で身も心も作品もすでに融け合っている。

まるで回転のために回転しているようだ。

回転が私を世界へと連れ戻す。

回転が永遠を欲す。

 

作品は回転のモチベーション(motivation)回転のメデューム(medium)だ。

ロクロの上で粘土は回転するが、作品が回転しているとは限らない。

作品を回転させるのだ。

回転する作品は終わらない。

終わらない作品は回転を配分する。

自己を回転させるのだ。

回転する自己はクラクラ(spin)する。

クラクラする自己はデクスタリティ(dexterity)を発揮して感覚的実在の袖をつかむ。

感覚的実在とは「生成しか存在しない」と言う意味での生成のことだ。

したがって生成は「一」なるものだ。

一なる生成とは多様であることだ。

ゆえに一とは多のことなのだ。

多なる生成は無垢である。

それは戯れる子どもだ。

戯れる子どもは回転する。

戯れる者、それはアーティストだ。

戯れるアーティストとは何か?

それはなにものでもない。

戯れるアーティストは何を望むのか?

なにものでもないがゆえにすべてを。

戯れるアーティストは何をなすのか?

たいしたことじゃない。

ちょっとしたことだ。

ちょっと回転してみせるのだ。

努力なんかではない。

努力は凡庸だし不自然(extrinsic)だ。

回転は世界の意志だ。




◎用語解説

●slip:横滑り・ずれ・ちょっとした誤り
●intrinsic:(そのものに)本来備わっている,固有の,本源的な,内在の⇔extrinsic
●spin:勢いよく回転させること・クラクラすること・作り出すこと・仕事を長引かせること・差延
motivation:自発性・誘因
●medium:生息場所・培養基・媒体・芸術表現の手段・霊媒・中間物
●dexterity:抜け目なさ、器用さ,巧妙さ;敏捷(しょう)さ;機敏さ,

●extrinsic:・性質、価値・影響などが受動的な・外因的な、固有でない⇔intrinsic

 


 

◎本文解説

  • 回転する作品は終わらない:制作が目指すのは完成ではない。制作は完成を先延ばしにする。回転するものとは差異なのだ。差異は再帰し永遠に同一性へと閉じられることはない。

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