自然と言われるものの何たるかを、考えてみるがいい。 それは、 きりもなく浪費するもの、はなはだもって無頓着なもの、意図もなければ顧慮もないもの、 慈悲もなければ正義もないもの、豊饒かつまた荒涼として、しかも同時に不定なもの、
------諸君は、こうした無関心に従って生きることなど、どうしてできようか?
もし〈自然に従って生きる〉という諸君の命法が、
根本において〈生に従って生きる〉と言うことと同じことを意味するとすれば、
------どうして諸君はそうでなしにありえようか?
諸君自身がそれであり、それであらざるを得ないものを、
何のため原理に仕立て上げるのか?
|