恥ずかしながら、知りませんでした。
中原淳一という作家も、その縁の石碑が館山にあることも...。 職場あてのメールである方から、「館山の塩見海岸に、『中原淳一』の残した詩の詩碑(石碑)があると聞きましたが、何時、誰の手により、何の目的で建てられ、現在も存在していますか?」という問い合わせが入りました。 早速調べてみると、「1913年(大正2年)生まれで香川県白鳥町出身のイラストレーター、人形作家。現在でも人気は高く、彼が出版した本や雑誌などその多くが復刻されている。戦後出版の「ひまわり社」を設立し、雑誌『ソレイユ』(後の『それいゆ』)を創刊。国土が荒廃し物資が不足していた時代に、生活を豊かにする方法を多くの女性に授けることで爆発的な売れ行きを示す。」とのことで、ホームページまでありました。 http://www.junichi-nakahara.com/ 塩見海岸(ババちゃんさんちの下の海岸)にある石碑も確認して来ました。 で、館山とのつながりですが、女性向け雑誌「それいゆ」が縁で、中原氏と親交を深めた、館山市内在住の諫川(いさかわ)正臣さんが、昭和34年に脳溢血で倒れた中原氏の「海の近くに住みたい」という希望に応え、館山市塩見に療養先を用意。 その後、中原氏は徐々に健康を取り戻し、この地域の人々との交流も深められたのですが、再度療養の身となり帰らぬ人となりました。 そして中原氏が亡くなられた後に、諫川さんがこれまでの中原氏との親交に感謝する気持ちを込めて、療養所の跡地に2002年4月に碑を建立したということです。 詳しい経緯は、平成14年5月15日号の館山市広報誌「だん暖たてやま」でも取上げており、2年前には市立博物館で中原氏の企画展も開いていました。 いや~、全く恥ずかしいほどの勉強不足でした。 |