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「趙州の言おうとしたことはこうだ。
彼は美が認識に守られて眠るべきものだということを知っていた。
しかし個々の認識、おのおのの認識というものはないのだ。
認識とは人間の海でもあり、人間の野原でもあり、人間一般の存在の様態なのだ。 |
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無意味も意味に頽落する。
そんな時代なのだ。
もし美というものがあるのなら
意味という澱を
際限なく濾過しつづける過程にしか
現成しないのだろうが
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私が考えているのは、 良い作品であれ、それなりの作品であれ、 どのような形容詞をつけようとも、 芸術と呼ぼうということだ。 悪い芸術でもそれは芸術だ。 ちょうど悪い感情も感情であるのと同じように。 … 悪いものであれ、良いものであれ、そこそこのものであれ、 |
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