> popaiさん
ありがとうございます。
理絵さんも頑張ってがれきの処理に携わっていましたよ。
夏休みを利用して姫路のNPOが主催する東北ボランティアに参加してきました。 姫路から高速道路を利用しても片道13時間、1,000kmの道程です。
姫路を夜に出発、高速道路のネットワークを巧みに利用して渋滞に遭わずに宮城県山元町に到着。 ここで衝撃的な光景を目の当たりにしました。
中浜小学校は海岸から近い位置にあったにもかかわらず津波による死者はなかったそうです。 それは当時の迅速な校長の判断で90人の生徒が2階の屋根裏部屋に避難し、救われたためです。津波の高さがかろうじてそこに及ばなかったのです。 学校内を見て回りました。つい今しがたまで授業をしていたような状況で津波は到来しました。 給食室のご飯のお釜は固定されて流されませんでした。それがひときわ目を惹き、悲しみが増します。 時計は津波到来時刻の15:16で止まっています。この小学校の時間はこの時刻で永遠に止まったままです。 町では将来的にこの死者のでなかった学校を震災モニュメントとして残す方向で検討されています。 周囲は一面の荒涼とした原野。ここに住宅や豊かないちご畑があったことを想像できません。 学校隣にあるお墓も倒壊したまま。 その荒涼とした原野の一角、元々は豊かないちご畑であったところでがれきの撤去作業をしました。 耕作には障害となる物体です。 それを参加者で集積し処分しました。 気の遠くなる作業です。 でもその日は栃木県からボランティアが同様な作業をコツコツと行っていました。 耳かきで太平洋の水を掬うようなものであっても何とか豊かな農地や宅地に復旧するように祈りながら作業をしました。
|