> おざきさん へ
うん。。また、あそびにいきましょう。
昨日、飯田線の地図をみながら、
奥三河の花祭りに連れて行ってもらったときのことを思い出してました。
あれは東栄町でしたっけ。。
今も、風景はかわっていないだろうか。
この季節になると、天竜川に下りる道、
すれ違ったおばあさんが、ネコヤナギを抱えていたのを思い出します。
あれは、予備校時代、温田駅を降りたときのこと。
岐阜には、月一以上で行ってますから、
また、連絡します。
ことしの秋、県立美術館でのシャガール展にいった。 http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/index.html で【過去の展覧会】へ 期間の終わり、たぶん最後の休みの日だった。 朝、美術館へと降り立ったJR灘駅前の公園でうしろを振り返ると、駅舎ごしに、澄み切った秋空と、目の前の摩耶山をはじめ六甲の山並みが、きれいなスカイラインを描いていた。 シャガールは、ここが近代美術館のころにも来たような気がするけど。。。 今回は、初期から晩年まで、絵画だけでなく、版画やタペストリーなどたくさんの作品があった。 午前の早い時刻にもかかわらず、賑わっていた。 「街の上で」「ヴィテブスクの街の上の裸体」「緑の瞳」「青い顔の婚約者」「サンポールの上の恋人たち」「家族」。 初期の「時計」や中期の「青い翼の振り子時計」など、故郷ヴィテブスクの自宅の居間掛かっていた時計をモチーフにした作品。 モスクワの国立ユダヤ劇場の壁面のために作成した、8mもの「ユダヤ劇場への誘い」や、「音楽」「舞踏」「演劇」「文学」の4枚のカンヴァス画。フリーズ形式の「婚礼の祝宴」。 そこでは、ふつう僕たちが景色を見てとる色調から超越した、鮮やかな色彩が展開される。 ときとして、作品のテーマを主導する恋人たちや老人、動物たちは、空をも飛んでいた。 にもかかわらず、リアリティが損なわれない。いや、かえって、独特の生活観が伝わってきた。 そのリアリティの基調は、作者の故郷、ベラルーシ(belarus)のヴィテブスク(vitebsk [ http://maps.google.com/maps?hl=en&tab=wl ])への郷愁、東欧系ユダヤ人(アシュケナージ)としての日常的な生活習慣と宗教的な記憶なのだと解説されていた。 作者が随所で使う、白灰色の凍てついた大地、小さな木造の小屋、先の尖った囲い塀、山羊、鶏の姿が、それを物語っていると。。 なぜ、シャガールの恋人たちは空を飛んだのか。 僕は、そのとき、ある言葉と2つの作品が気になったのに、どうしても思い出せない。 そして、改めて図録を借りて、解説を読み直した。 言葉は「ルフトメンチュ」だった。 作品の一つは、1914年、初期の作品である「ヴィテブスクの街の上で・下絵」。 図録より ここでは、袋を背負い髭を生やしたユダヤ人の男が屋根の上に浮かんでいる。この姿は、アシュケナージ系ユダヤ人が親しむイディッシュ文学に登場する「ルフトメンチュ(空中を歩き空に住む人)」と解釈できるとしていた。 別の本によると、「ルフトメンチュ(LUFT-MENTSh空気人間)」は、定職を持たず、霞を食って生きる宙ぶらりんの存在を定義するイディッシュ特有の表現であるという。 もう一つは、初期の版画集「わが人生(Mein Leben)」にある「ヴィテブスクの家」(1922)。 図録より 老人が操る荷馬車が、一人の子どもを乗せて、宙に浮かんだまま、小さな家の前を通り過ぎる情景が描かれていた。 子どもの姿に戻った作者は、ルフトメンチュに導かれ、時空を超え、昔暮らした家を訪れる。 会場では、多分そんなことを考えていたのだと思う。 (シャガールの生家)Home of Marc Chagall http://chagal-vitebsk.com/node/159 何らかの出逢いを通じて、それが国内でも外国であっても、見知らぬ街や村、地域が、そこに住まう人びとも含めて、より鮮やかになるととっても嬉しくなってしまう。 東欧の街、ベラルーシのヴィテブスク。また一つ、知ってる街が増えた。 お昼は三宮に出て、簡単なイタリア・ランチを食べた。 赤ワインがおいしくて、ほろ酔い気分で店を出ると、晩秋、午後の日差しが意外に温かだったからだろうか。ちょうど目の前に来た2番系統の市バスに乗り込み、布引、青谷と、六甲山麓の一番高いところを西に辿って、観音寺のバス停で降りていた。 そして、神戸高校の西側の谷を登り、東の住宅街に入ったところからケーブルカーに乗った。 ケーブルカーの窓越しに、どんどん街と港の風景が下がっていき、空が大きくなっていった。 ちょうど真下には小さな県美が見える。左には製鋼所や発電所がある。そのむこうには、いくつかの人工島や堤防にはさまれた港が、手前には、高い建物や住宅など街の風景が鉄道、道路、河川、公園に区切られながらひろがっている。 そして、その上に、シャガールならば、恋人たちを浮遊させるのに十分な空があった。 この街に暮らす人びとは、それぞれ、この大きなスペースに何を描くのだろう。。。 そのあと、桜道から五毛天神をとおって、だんだん街と港の景色が間近になるのを愉しみながら坂を下り、水道筋商店街のお店をひやかしたあと、日暮れどきのJR灘駅に戻った。 やはり、この展覧会に行った友人は云っていた。“若い頃、「好きな画家は?」と聞かれると、迷わず「シャガール」と答えていた。年々それも恥ずかしくなって・・・そして、久しぶりに出会ったシャガールの作品の数々。やや圧倒され気味。いえ、完敗かな?好きなものは好きでいいじゃない。なんだか素直な気持ちになれたよ。” シャガールを縁に、ココロを動かして、お腹を動かして、カラダも動かした1日。 帰ってから、Google earthに「belarus,vitebsk」と入れて、ヴィテブスクの街を覗いてみよう。 |