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2009年12月31日(木) 
今年の大晦日は雪がちらほらと舞い、風が強いとても寒い日になりました。
皆さんにお礼を言いたくて、長いブログを書くことにしました。よろしければおつきあいください。
 
平成21年の正月はいつもと大差ない穏やかな始まりでした。正月2日には長く途絶えていた高校時代の同窓会を行い旧友との再会を喜びました。ただ年末から苦しめられた腎臓結石がいつ動くかという心配を除いては、でしたが。
 
一方では、冬桃さん、駱駝さんとskyさんから江川地域の芦屋道満塚と安倍晴明塚の偉大さを教えていただきました。平安時代の大陰陽師の塚が自宅からさほど遠くない地域にあったのです。今まで育ってきた地域内に、そのようなものがあるのかと衝撃的な出来事でした。よくよく自分の地域を見れば、春には桜が咲き誇る川辺があり、田は菜の花で彩られる。花が終わると田植えを行い、お茶の新芽を摘み取る。夏には青々とした苗や緑豊かな山が姿を現わす。秋には山野草や栗を収穫し、自然薯や稲穂の刈り取りを行って、冬篭りの準備をするといった生活が行われてきました。
 
また7月には行ったことがなかった山登りにも挑戦し、大山登山と富士山登山を行いました。富士山では、運動不足から下山途中の河口湖側の砂桟敷で膝が痛くなり、仲間に助けてもらいながらの下山となりました。とても嬉しくてありがたかったです。
 
盆前の8月9日、前夜から降り続いた雨と短時間の集中豪雨により、町が濁流と土石流に襲われました。「雨がよく降るなあ」程度の気持ちから、「こんなに降ったら災害が出る」・・・その日から、復旧と復興の闘いが始まりました。

これだけ大量の雨が降ったのは、僕の知る限り昭和51年災害、平成16年災害と今回の平成21年台風第9号災害です。昭和51年災害では、河川改修により我が家の田んぼが約半分になりました。平成16年の災害では佐用駅が水没し、町内のあちこちで被害が発生しました。そして今回の災害では、尊い人命が失われ、床上浸水以上の家屋が約1,000棟にも及びました。かつてない大災害でした。

僕が濁流と悪戦苦闘しながら事務所に到着した頃は、まだそんな大災害になるとは気づいていませんでした。今夜は帰れないな、そろそろ雨が止んでくれたらいいのにと思いながら、ホワイトボードに被害状況を記入し、総務班広報担当の到着を待っていました。しばらくして、全員が集まれない状況に陥っていることがわかりました。電話連絡による被害状況は増え続け、ホワイトボードでは間に合わなくなったためパソコン入力に切り替えました。その後、事務所1階が水没し事務所全体が停電しました。停電してからは、こちらにも情報が入って来なくなったため、これまでの情報を元に消防署の職員と、町の白地図に災害箇所を記入していきました。警察の情報や消防署の情報も合わせて一緒に記入しました。第2庁舎や裏の避難所となっている体育館が通電していることがわかってからは、コードリールを使って本庁舎2階まで最低限の電気を引っ張り、停電対策をしました。その後、消防団活動をしていた職員も一緒になり情報整理を行いました。夜半からは、雨が小止みになりました。この頃から、調査のため徐々に職員が出動していきました。電話のメモを一括してまとめていましたが、入ってくる情報には人が流されたという情報や、車に閉じ込められているといったもの、家の裏山が崩れてきているなど、緊急を思わせるものも多く、そのつど復旧対応の職員に連絡し情報整理だけに陥らないように注意しました。ときどき事務所の2階から外の車を見ると、水没した車のウインカーが点滅しクラクションが鳴り響いていました。

こんな状態で翌日を迎えましたが、翌日からも同じような状況で、3日間ほどは、ほとんど寝ずの状態が続いたように思います。なぜか、その時の記憶がほとんどない状態です。
 
そのような中、ひょこむのSNS仲間から佐用町に来たよと連絡を受けました。僕が動けない状況だったので、ボランティアセンターに行ってもらいましたが、その時の道路状況を考えると、ほんとに申し訳なくて・・・ごめんなさい。連絡をいただきありがとうございました。すごく嬉しかったです。また古タオルプロジェクトを立ち上げていただき、全国から2万枚以上の古タオルを送っていただきました。各地から連絡をいただき、個人的にも差し入れを頂戴し、また直接、職場に訪問を受けたときは、全国に素晴らしい仲間がいることを実感しました。

情報発信面でも多大なご支援を頂戴しました。情報発信はまかせとけと言って職場に来てくださり、さよっちや佐用チャンネルでの映像発信を受け持っていただきました。おかげで災害直後からの映像が順次、ご紹介できることになりました。職員以外で、映像発信ができた時、地域の皆さんや地域外の皆さんと一緒に情報発信を続けてきたことが実を結んだと思ったのです。
 
2009年は、こんな素敵な友がいるSNSの素晴らしさを実感した年になりました。被災後、僕は災害復興対策室に異動しました。移動後も各地の皆さんには仲良くしていただいています。ありがとうございます。

今、町は「再びきらめく」ように、復旧復興途上ですが、皆様これからもご支援・ご協力を賜りますよう、よろしくお願いします。
 
2010年は、お互い良い年にしましょう。

閲覧数852 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/12/31 23:25
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