できることも わかることも なにもない
「草地の跡のうえ」より
覚書の中で「いのちの小舟を水に浮かべるように、しずかにしずかに、このちいさな本のかすかな声を、送り出す。今はまだ見えない光の岸が、どこか遠いところにきっとある。そこへ向けて。」と岬多可子は記す。
「どこか遠いところにきっとある」「今はまだまだ見えない光の岸」がどこにもないことを岬多可子はとっくに知っているのだ。知っていながら、なお「いのちの小舟を水に浮かべるように」「かすかな声」を送り出す。それが詩人だ。 そのような心のありようを誰がなぞれるだろう?誰にもなぞれやしない。だから君。軽々しく頷いたりするものじゃない。解らない己の浅はかさに歯がみしてみせるのがもっとも誠実なやり方なのだ。 |