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2007年08月04日(土) 

 

腹の足しにならない。受験の役にも立たない。なくても何も困らない。なるほど ! 確かにそのとおりだ。

しかし、アートとは芸術ビジネスの、あるいは教育ビジネスの営業品目の一つなのではない。たしかにマーケティングと重なるある部分をアートも避けがたく持ってはいる。しかしそれはアートとマーケティングを混同しても良いと言うことでは決してない。

マーケティングとはマーッケットで売れることのみを至上の価値として追求する。当然そこでは意味作用はすっかり疲弊してしまい、振動を発する差異もなければそれを潜在させる深さもない。薄っぺらな表層的意味だけの世界だ。そのようなマーッケトの外部を住み家とし、世界の再読み=意味化=人にとっての世界の・生の・有価値化、を試みるアートの営みとを、いったいどうしたらゴッチャにできるのだろう。ましてや、スーパーマーケットや百円ショップで売っている日々の「役に立つ品々」と同列にするなど問題外だ。でも、飾ってみたり役に立てることもできそうなものもあり、実際皆さんそうしてる。人間国宝の作品だろうが何千万円しようが別段飾っても役に立てても誰も文句は言わないから(たぶん)、安心して好きなようにすれば良いのだ。作品は自らは何も語らない。それに出会った者の心を通じて、それに出会った者の心で、初めて語り始めるのだ。

ートなんて役に立たない。もっともだ。アートは有用性なんてものの外部にあるのだから。念のため言えば、有用無用の二分法の外部(上部といっても下部といってもかまわない)にある。さらに判りやすく言えば、用を「目ざしている」のでもなければ無用を「目ざしている」のでもない。だから アートは「目的」のツリー構造から私達を解放する。「生きる」の明日への順延を「いま・ここ」へと奪還する。M・エンデのモモのように。

アートは人間のあらゆる生存活動の根源にあって、それを活性化し、流動化し、浮遊させ、環流し、強化する潜在的な力のことなのだ。それは生み出す力であり、交わる力であり、変化する力だ。それは野や山や海や川の力、草や木や虫や動物の力、つまり生命の力と通底している。生命は有用性や目的性などでは計れないのだ。なのにどうして私達一人一人のかけがえのない生を出来合いの画一的な物差しで測ることができよう !?

メージや記号はメディアで共有できるが、アートの力は直接的にしか伝わらない。価値や権威は言語記号の、ある特定時空間における意味体系に過ぎない(共時的にも通時的にも恣意的で相対的だ。だから立派なガラスケースに収まりたがる。それで〝時〟を超えた気になるのだ)が、アートは境界を持たない(つまりガラスケースさえアモルフ(*1)に内包してしまう)概念なき具体性だ。商品(価値や権威)は金銭でやりとりできるが、アートの力は何ものにも変えることができない。

アートの力は無媒介で直接的なエネルギーの波の伝達である。オーディエンスと作品と作者の直接的なエネルギーの交流=対話=相互浸透である。作品の発する波がオーディエンスを変化させ、オーディエンスの変化が作家を変化させ、作家の変化が作品を変化させる。

そのときそこに流れるのは何か?

「生きる力」なのだ。

もモノも情報も生産力も、あらゆるものが都市へと集中する。なぜか。マーケティング上の理由からだ。逆に都市からは常に平均化され画一化された情報=価値観が圧倒的な力を持って地域へ逆流する。アートと言う根源的生命エネルギーの表出であったものが交換価値=平均性・通俗性へと翻訳されてしまうのだ。マーケティングによる画一化は、具体的で異質的で動的な生命の力をスポイルする。それはやがて全体的な生命現象としての多様性・柔軟性・創造性の脆弱化につながっていくだろう。

そのとき損なわれるものは何か。

「生きる力」なのだ。

考えてみよう。元をたどれば都市の多様性(平均化され画一化され抽象化された虚構性としての多様性)を作り上げているのは特異的で個別的で具体的な地域的潜在力であるはずなのだ。無数の才能をボトムアップに産み出している場はどこにあるのか?よく周りを見てみたまえ。名も知れぬ片田舎から、あなたのすぐ隣から、様々な才能が現に今も生み出されているではないか。

様々な才能を産み出す力とは何か。

「生きる力」なのだ。

「生きる力」とは何か。変化し、異化し、差異を肯定する力だ。それがアートを産み出す力なのだ。

ルチチュード*2)な多様性を持った地域からアートは叢生してくる。なぜならここは具体的な差異=生命で満ちあふれているからだ。ただ、残念なことに地域は地域のポテンシャルを軽視する傾向があるようだが。

ートなんて役に立たない現象が個人的にも社会的にも、創造的ポテンシャルのもっとも顕著でもっとも根源的なメルクマール*3だと、誰もが知っている豊かな人間の社会が、いつかきっと実現すれば、いいのだけどね。

 

 


用語解説

 

*1 アモルフ:amorphe(仏) 無定形

*2 マルチチュード:Multitude  一つの勢力でありながら、多様性を失わない、また

多様性を失うことも求められないような多数者のこと.

*3 メルクマール:Merkmal(独)指標。目印

 


閲覧数2,522 カテゴリ★アート でポニョ!★虫にも分かるアート講座-----好評連載中!!! コメント4 投稿日時2007/08/04 00:07
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chronosさん
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