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保存用「両院議員総会開催を求める署名」コピペ 「修正前分」 自民党の両院議員総会の開催を求める133人の署名に名を連ねた呼びかけ人、賛同者の一覧は以下の通り。 【呼びかけ人】 (衆議院議員) 加藤紘一 伊藤公介 中川秀直 船田元 衛藤征士郎 川崎二郎 武部勤 村上誠一郎 杉浦正健 中谷元 稲葉大和、塩崎恭久、田中和徳、谷畑孝、奥野信亮 谷川弥一、西村明宏 【賛同者】 (衆議院議員) 鳩山邦夫、保岡興治、与謝野馨、尾身幸次、小杉隆 額賀福志郎、逢沢一郎、石破茂、斎藤斗志二、仲村正治 二田孝治、遠藤武彦、小坂憲次、佐 … [続きを読む] |
「正信偈」携帯サイト用:簡易版としてご利用ください。 :帰命无量寿如来: キ~ミョウ~ム~リョウ~ジュ~ニョ~ライ~ 南無不可思議光 ナ~モ~フ~カ~シ~ギ~コ~ウ~ 法蔵菩薩因位時 ホウゾウボ~サツインニ~ジ~ 在世自在王仏所 ザイセ~ジ~ザイオウブ~ッショ~ ↓P2 覩見諸仏浄土因 ト~ケンショ~ブツジョウド~イ~ン~ 国土人天之善悪 コクド~ニンデンシ~ゼ~ンマ~ク~ 建立无上殊勝願 コン … [続きを読む] |
『わたしは人間であり、人間である限り、わたしと無関係ではないのだから』 トーマス・サンカラ (Thomas Sankara):アフリカのチェ・ゲバラと呼ばれる男 アフリカの西部の内陸、サハラ砂漠の西南にオートボルタという国があった。 奴隷貿易やフランス植民地支配など、この辺りの国々と同様の悲しい歴史を持つ。 これといった資源もなく、土地も豊かではなく内陸国ということもあり、1960年の独立以降も、 ずっと、世界で最も貧しい国の一つだった。 赤ちゃんの5人に1人は、1歳まで生きることができず、学校に行ける子どもは、16%だけ、 国民の90%以上が、文字の読み書 … [続きを読む] |
貧困の仕組む 「累積債務」1 http://jp.youtube.com/watch?v=Egkv5oe0jjA&feature=related 貧困の仕組む 「累積債務」2 http://jp.youtube.com/watch?v=LEs4-kefhes&feature=related 貧困の仕組む 「累積債務」3 http://jp.youtube.com/watch?v=EfefAQsVDZU&feature=related |
平成19年11月10日 ハーモニーホール(赤穂市)小ホール 聴衆数:500人以上 主催;赤穂義士会 赤穂市教育委員会 講演 「秦河勝と能」 梅原 猛氏 資料のまとめ レジュメ 1.世阿弥の『風姿花伝』と、禅竹の『明宿集』の一文 <資料:1><資料:2> http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=28012 2.秦河勝の伝承の地である坂越を訪ねて <資料:3> http://hyocom.jp/blog/blog.php?key=28084 3.大避神社と広隆寺 船渡御と牛祭 景教(ネストリウス派のキリスト教)の影が差す <資料 … [続きを読む] |
秦川勝と能 6・7 6.「鵺」という劇 鵺は頼政に殺されて、河勝と同じくうつぼ舟に乗って芦屋に到着する。 世阿弥は、この天皇の命を狙った悪獣といえる鵺をシテとして、すばらしい能を作った。 ・資料(5) 「思うままに」 梅原 猛 東京新聞 「鵺」も平家物語を題材にしたものであるが、この能のシテは、頭は猿、尾は蛇、足や手は虎の如くにて、鳴く声鵺に似た恐ろしい化け物なのである。近衛天皇の御代、午前二時ごろになると、東三条の森の方から黒雲が出てきて御所の御殿を覆い、天皇を悩ませた。高僧に祈祷させたが効き目はなく、射手として … [続きを読む] |
秦川勝と能 4・5 4.私と聖徳太子及び秦河勝との関係 秦河勝の霊に導かれて、今まであまり研究してこなかった中世の世界に入る。 私と市川猿之助が創造したスーパー歌舞伎は、観阿弥・世阿弥が創造した、 歌舞伎プラス一定の筋をもつ深い哲学を含んだ劇という伝統を引いている。 … [続きを読む] |
秦河勝と能 3 (梅原 猛氏) 3.大避神社と広隆寺 船渡御と牛祭 景教(ネストリウス派のキリスト教)の影が差す ・資料 (4) 『うつぼ舟 能と世阿弥』 梅原 猛 角川学芸ウェブマガジン 最後にもう一つ。広隆寺について、まだ十分解けていない、甚だ気になることがある。それは最初に書いた「十二」の謎である。 赤穂市の大避神社では、至る所で「十二」という数字が出てきた。祭の日は九月十二日で、大避神社にある古井戸は十二の石柱で作られ、船渡御に出る船の数は十二艘であり、それを司る社家は十二家であった … [続きを読む] |
秦河勝と能 2 2.秦河勝の伝承の地である坂越を訪ねて ・資料 (3) 『うつぼ舟 能と世阿弥』 梅原猛 角川学芸ウェブマガジン 大避神社はこの坂越の集落のほぼ中央に位置し、急な坂を少し登った所にあった。 当然この土地柄からいってここは漁村であると思われたが、行く途中に甚だ立派な民家が何軒かあった。大避神社も古社であるがこのような小さな里の社にしては壮大な神殿を持つ神社である。かっての坂越の町の繁栄ぶりが偲ばれた。そしてこの社の南には宮司さんが是非行ってほしいと言っていた生島が横たわっていたのである。 ・・ … [続きを読む] |
秦河勝と能」 1 1.世阿弥の『風姿花伝』と、禅竹の『明宿集』の一文 ・資料(1) 『風姿花伝』第四「神儀云(しんぎいわく)」 彼河勝、欽明・敏達・用明・崇峻・推古・上宮太子に仕え奉り、 此(この)芸をば子孫に伝え、化人(けにん)跡を留めぬによりて、 摂津国難波の浦より、うつほ舟に乗りて、風にまかせて西海に出づ。 播磨国坂越(しゃくし)の浦に着く。浦人舟を上げて見れば、かたち人間に変われり。 諸人に憑き祟りて奇瑞をなす。 則、神と崇めて、国豊也。 … [続きを読む] |
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