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2007年10月28日(日) 
いまにも雨が降りそうな、重たい雲におさえられた
あかるくて、ほそながい空がとても遠くまでみとおせた。。
9月の終わりごろの週末、ヨットに乗せてもらった。

**********************
午前8時まえ、ヨットは須磨のハーバーから注意深く防潮堤をぬけ、うみにでた。

右手は、鉄枴山が須磨浦にせまるところ、明石海峡を橋がまたぎ、淡路島につづいている。
左手は、工場、オフィスビル、そして六甲の山裾、たかいところまで、マンション、住宅などがひしめいている。
海上には、港外の貨物船や、ポートアイランド、空港島が浮かぶ。

しばらくすると、海峡にかかる橋の上から、車輪をおろし前照灯をつけたJAL機が、
こちらに向かってどんどん高度をおとしてくる。
そして頭上をとおって、さらに落下、
最後、白い煙を残して神戸空港に着陸した。
いま、ぼくたちは、滑走路の延長線上にいるらしい。

Sさんのヨットに乗せてもらうのは1年ぶりだ。
  【晩秋の瀬戸内海】2006/12/05
  http://sns.e-hiroba.net/blog/blog.php?key=3385
今回のクルーはOさんとYさんとボク。
Sさんによると、お二人はぼくらより年長で、ヨットの腕も確か。

コクピットで操舵桿をにぎるYさんが、年長の威厳をもって
“きょうはいい風です。ヨットのほんらいの姿を体験できますよ。”

Yさんのネームカードには、、ご自分のヨットの名前の下に2人のなまえ
   【提督】Y ・子
   【艇長】Yさん
なるほど、オクサンをAdmiralに据えるとは、考えましたね。。。。

しばらくして、エンジンが切られた。
あとは、風のちからだけ。

これから、茅渟の海(ちぬのうみ)、大阪湾のまんなかを横切って、
関西空港への連絡橋のたもと、田尻漁港マリーナにむかう。
陸路なら湾岸をたどって80キロほどだが、直線でいくので30数キロ。

Oさんは、セールの張りや、ブームの位置を調整する手をやすめ、
ぼっそっと、、“片道3時間半から4時間ぐらいかな。。。”
35キロ割る5ノット(1.852キロ/h×5)は3時間45分になる。

振り向くと、須磨の浜辺や家並みは、神戸の街の風景のなかにとけこんでしまい、
架橋も淡路の島影に隠れた。

ゆたかな風が左後方(北東)からのふいてきて、
10メートル超のマストに張られたメインとジブのセールの裏表を勢いよく流れ、ふねに大きな揚力を授けて、追い越していく。
いちばん快適に走れるふねの位置だ。

風からうけた横方向のちからはヨットを押し倒そうと、
船底のキール(竜骨板)とラダー(舵)につたわり、圧倒的な“うみのちから”に差し戻される。
船を垂直につらぬくマストとキールの拮抗を寸分のあそびもなく受け止めた
32フィート(約10メートル)の船体は、いともたやすく、右舷に傾く。
風のちからと、海のちからの調和点で生まれた、
行き場のないエネルギーが、推力に加わる。

風にほんろうされ、波頭に突き上げられながらも
そらと、うみにつきだした2つのスタビライーザーが些細な揺れをかき消し、
大胆に、波頭を乗り越え、突き進む。
もちろん、ぼくらもひとくくりで。。

不安と言えば、左舷に腰掛け、右舷に突っ張る足首が、
ベンチに腰掛けるように、下に来ていること。
足のむこうは、地面ではなく、くろいうみが奔る。
20度くらい?傾いてるよ。。でも、だれも何も云わない。。

“とても、速く感じるんですけど。。”
“7ノット、8ノット、もっとでてるかもしれません。”とOさん
“だいぶ傾いていますけど、だいじょうぶですよね。”
 微笑みだけが返ってくる。。。


こうして、大阪湾のまんなかにでてくると
このうみは、ぐるり山に取り囲まれているのがよく分かる。

後方には、980mを主峰とする六甲山地がせまり、
そして湾入の最奥部、大阪のビル群の向こうには600~700Mの北摂の山々。
左舷、東にまわり、生駒山系が信貴山488mでつきるあたりがいちばん低くなる。
ふたたび二上山474m、葛城山960m、金剛山1112mとつづき、
そのまま和歌山との県境、その向こうに紀伊のやまなみをしたがえた和泉山脈が南にまわりこみ、加太でうみに崩れ落ちるところ、さらに友ヶ島の諸島が右舷へとつづく。

右舷後方からは、淡路島の山襞。
北から500mほどの津名丘陵の断崖がつづき、それがいちばん遠ざかったところが洲本の湊。
その南は、近い距離で島の最高峰607m、諭鶴羽山系が目の前にせまる。

そして、これらの山並みとのあいだに僅かな隙間をのこし、
厚い雲がひくく、うみ全体に蓋する。

たとえば支笏湖のように
大きなカルデラ湖から外輪山を見上げているようだ。

外界へ通じるみちが見てとれるのは、
海(うみ)では、右前方、淡路島と友ヶ島とのあいだ、わずか3キロほどの水道で太平洋へ。
そして明石海峡で瀬戸内海、播磨灘へ。
陸(おか)では、近江、京都へのぼる淀川筋。
奈良・大和へ、信貴山と二上山の鞍部。
さらに、洲本から三原平野で、淡路島西浦、播磨灘にぬける

濃い色をした、圧倒的なうみと、迫りくるやま。
太陽の光をうちにたたえた厚い雲と、
そのあいだで、これらのコントラストを鮮明にする曇りそら。
そのなかで、人びとがうみに育まれた、おおらかな時代があった、、と思う。

【ちぬのうみ文化圏】の存在を教えてくれる。

船脚はとっても速い。。
9時半をすぎには、関西空港島が目の前にみえてきた。
お昼までだいぶ時間がある。

ふねは、空港島の北端、連絡橋の本土側にあるマリーナに直行しないで、
2㎞沖合にできた二期工事の新しい4000m滑走路に沿って南端まで行き、
本土との間を北上することにした。

この滑走路は着陸専用。
ジェット機は、次々と紀淡海峡上空に現れ、降りてくる。
大きな機体が高速で着地するやいなや逆噴射をかけ、
滑走路の北端でようやく停止する。
見物のこちらも一緒になって“制御された墜落”の成功に一息ついたと思えば、
もう、次の1機が滑走路に突入してくる。
“はよ、どかな!ぶつかるよぉ。”

ダイハード2の最後のシーン。
上空で待機中の旅客機が
墜落したテロリストのジェットが残した油煙をたよりに
列をなして降りてくる場面があった。
あんな感じ。。

まぁ、賑わっててよかったね。
でも、この時間帯、貨物機が多かった。

ふねは、空港島の南を回り込み、反転した。
こんどは風が前からふいてくる。
だがエンジンはつかわない。
真向かいから風をうけないよう、
でも風上に向かって最大限切り上がってセーリングをつづける。
本土との間、幅5㎞ほどの水路をいっぱいにつかって、
いちばん空港島寄りから、
本土側にみえる斜張橋、田尻スカイブリッジをめざし、
北東の針路を維持する。

ヨットは右舷に傾き、風はセールを気持ちよく流れていく。
でも、陸地の風景は、なかなか後ろには流れていかない。
体感ほどスピードはでていない。でも、着実にすすんでいる。


結局、12時半すぎにスカイブリッジをくぐって、
田尻漁港マリーナに入港した。

このマリーナを運営している青木洋さんにお会いした。
1974年、わずか6.3mの自作ヨット信天翁二世号で
わが国で初めての世界一周に成功した方だ。
http://www.aokiyacht.com/
http://www.aokiyacht.com/aoki/sekai.htm

ここでは、関西空港の漁業補償をきっかけに、
地元漁民によるプレジャーボートの人びととの交流や、
観光客の呼び込みをめざした
フィッシャーマンズ・ワーフづくりが進められた。
青木さんも参画している。
田尻漁業組合の日曜朝市、体験漁業、海上釣り堀。
つり上げた魚をバーベキューすることもできる。
そしてヨットスクールを併設したマリーナがある。
http://www.aokiyacht.com/uminoeki/tajiri-1.htm

土曜のお昼、
いろいろなたのしみ方をした人たちが
バーベキューを囲んでいた。

ハイカラな建物のみやげ物屋と食堂だけが目立ち、
海の体験と無縁な、この種の施設を見慣れてしまった目には
ある意味、漁港の延長上にある“泥臭さ”と“活気”がとても新鮮に映った。

**********************
帰路は、そのまま北側の空港連絡橋をくぐり、北北西に針路をとる。
エンジンはつかわない。

僕はベイクドチーズをつくるために、キャビンにおりる。
スポンジスポンジケーキの型を取りだし、バターを内側に塗りつける。
クリームチーズ250gをボールにあけ、すこし手で砕いて、
ハンドミキサーでクリーム状にやわらかくする。
そして砂糖140gを混ぜ合わせる。
さらにコンロでバター30gを溶かし、サワークリーム1カップ、レモン汁とくわえる。

それにしても、よく揺れる。
ゆれる。ユレル。。

どちらかの壁にからだを押しつけ、バランスをとりながらの作業、
外の景色がみえないから、揺れの予測がつかない。
なんでもない作業にとっても時間がかかる。
たぶんの宇宙飛行士の日常がこんなものなのかな、、とつい思ってしまう。
(たいそうな言いぐさ。。。)

なんとか、オーブンの予熱までたどりつき、一度キャビンから出る。
船酔い気味だ。いや確固たる船酔い。
Sさんに“大阪湾なのに、この前の高松行より、よっぽどゆれるんですね”
“こっちの方が、太平洋につながってるから、波、高いよ。”
なるほど、そうだよね。
都会の目の前のうみだから、穏やかであるはずと勝手に思いこんでた。
みなみの水道から、ワサワサと波がはいってくるんだ。
そうすりゃ、逃げ場のない“たらい”の中は、波たかしだ。

とにかく、きりをつけなくちゃ。。
再度、キャビンに突入。
手早く、別のボールで卵白3個を泡立て、メレンゲをつくり、
さっきの生地に混ぜ合わせ、型に流し込む。
さてと、できたぁ。
なんか、厚みがたりないような気もするけど、
もう、目がクルクルまわる。

ここのオーブンはあまり温度が上がらないから、
最高度にセットして、放り込み。
ほうほうの体で、甲板に上がってくる。
もうダメだ。。。。プッツン

どのくらいたったのだろうか。。。
気がついて、あたりを見回すと、
濃いみどりの北淡路の山並みをすぎ、
明石海峡大橋が目の前にある。
あの向こうに、穏やかな播磨灘がある。。。

うん。。とにかく帰ってきたんだ。

須磨アルプスがおおきくなり、
その山並みに肩を並べて高倉台のアパート群の上部がみえてきた。
海岸の砂浜にいるひとのすがた、
まちの建物のすがたがはっきりしてきた。

しばらくすると、ジブが巻き取られた。
メインセールがおろされ、OさんとSさんが畳んでいく。

そして、最後にエンジンがかけられ、
午後5時前、しずかに須磨ハーバーに入港した。

ヨットがポンツーンに係留され、
みなで、ふねの掃除をするうちに日が暮れた。

ベイクドチーズケーキは【失敗】
キャビンを掃除すると、フロアから
ふるいにかけ袋詰めされた薄力粉50gと
卵黄3個分がはいったタッパーがでてきた。
う~ん。入れるの忘れたんだ。。。
“ベイク”してもふくらまないわけだ。


“でも、【甘みも酸味もしっかり、ひと切れで満足できる味】にはなってるよ。”となぐさめてくれる。。
たしかに、へんな添加物なしの純粋素材だから、間違いなく食べれます。。。

たぶんチーズスフレようなケーキでした。


キャビンの夜、
週末、ひがなヨットで暮らすKさんが加わった。
差し入れのサイコロステーキを焼いて、
“あの卵黄3個”をつけ合わせに炒めた。

お酒はカティーサークのロック。
防波堤に護られたしずかな揺れも心地よい。
フリッパ・ジョルダーニョのCDがとってもにあう。
それぞれのヨット談義に、時はさらさらと流れていく。

かえる夜道は雨に濡れていた。
**********************
次の日も、あさから雨もよう。
夕刻まえには雨がやみ、垂れ込めた雲の下、
12階の仕事場から見下ろす神戸港は鏡のようになめらかだった。
そのむこう、鉛色の大阪湾が静かに日暮れをまっている。

でもね、、たぶん。。
あの防波堤の外には、まちがいなく、けっこうの波に翻弄される世界が今もある。

ずっと20度ぐらい傾いた船体で足をふんばり、
船底のしたにひろがる深い海のことを考え、
しぜんと歯を食いしばる世界が。。。

閲覧数3,657 カテゴリクチコミ情報 コメント2 投稿日時2007/10/28 00:47
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2007/10/28 20:03
    どちらかというと海より山という私はヨットに乗ったのは大学時代に一度だけ。
    でも読むだけでもたのしいクルージングでした。
    ヨットといえば堀江さんが浮かびますが
    日本で初めてヨットでアメリカへ渡ったのは
    鎮目守治さんだと知った(もっとも堀江さんは単独、鎮目さんは米人達と共に)のは娘からの情報でした。
    鎮目画伯は、1952年に慶応大学経済学部を卒業後、日本人としては初めて太平洋をヨットで横断(米国人を含め計6名)、その後、米国、フランス、イタリアで美術を学び、英国の美術学校では教鞭をとりました。
    宣伝になって恐縮ですが娘は鎮目守治さんの自叙伝執筆のお手伝いをさせていただきました。
    よろしかったらAmazon.co.jp: 21世紀の俺―画家・鎮目守治自叙伝読んでみてください。
    次項有
  • 2007/10/29 06:59
    C2(未杜子) さんへ
     さまざまなひとがいろいろなチャレンジをしてきたのですね。
     鎮目守治さんのことは知らなかったです。
     お知らせありがとうございます。
    次項有
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「地域再発見」をキーワードに、浅く、広く、楽しみながらで。。
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