出産を5月1日に控えた、関東からの自主避難のお母さんの熱い思いで実現した、阪神NPOセンター主催「放射能と安全をテーマにした講座&自主避難者交流会」
彼女の強い思いがなければ決して実現しなかったであろうこの講座。
まさに母は強しを再確認できた。
参加者は50名を越え、保育ルームのお子さんや、保育ボランティアの皆さまを入れると60名強、狭いまちプラが熱気で溢れた。
外からの立ち見もあった。伊丹市議や伊丹市民の方又近隣都市の市民の方も多く参加していただけ、福島ご出身の伊丹市民の方からは御支援の輪を広げたいという申し出もあった。
今も自主避難者の方の交流会が続いている。転職されてきた男性の方も少なくない。
宝塚NPOセンターさんは自主避難者の就労支援にも力を入れておられるそうだ。既に10名の避難者の方の就労を支援された。この問題は全ての市民が共有すべき問題。我々も出来る事をやっていきたい。来月からは宝塚NPOセンターさんと連携して会を続けていくことになりそうだ。
講師にお招きした阪南大学下地真樹氏の話も分かりやすく説得力があった。一番印象に残ったのが原発安全神話が崩れ、今度は放射能安全神話に切り替えたのでは(涙)というフレーズだった。
またガレキの広域処理は本当に地域の方の希望なのかという問題意識も大変参考になった。広域処理をのぞんでいるのは、地域ではなく大規模開発を望んでいるものたちの希望ではないのか???
幕末からの歴史をふりかえってみても、大政奉還・・・宮廷クーデタの後、我が国は戦争など大規模な惨禍をひきおこしても、誰も責任をとらなくてすむような珍しい国家システムを維持してきた。
前大戦に於いても一部の実戦に就いていた軍指揮官は別として、馬鹿げた机上の作戦を起案し、無数の日本軍兵士を飢え死にさせた高級軍官僚で、自ら責任をとって腹切ったものがいただろうか。
責任をとる、取らないという観点からみると、戦国時代や江戸時代の日本人の方が、よほど民に対して責任感をもっていたのではないかと思われるほどだ。
今回の福島原発事故以降も「またかい」という事態が繰り返されている。
便利な国家システムもさることながら、国家システムの上に胡坐をかいた為政者が、民をなめているとしか言いようがない。
大規模な惨禍が引き起こされて最後にツケを払うのは常に市民。
いつまでもなめられていてはいけないだろう!
市民が一致できるところで、連帯((昔どっかで聞いたようなフレーズやなぁ・(笑)))していくことが一番大切なように思う。