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2007年09月07日(金) 
(9/5「越後・村上(むらかみ)-まちのみりょく【前編】」より続く)

ズラリとつり下げられた
仕上がりを待つ“酒びたし”たちは
村上のひとたちがこだわり、
村上の風土を物語っている。

鮭をよく洗ってから、ふきんを敷いたまな板にのせ、
竹べらで表面のヌメリをていねいに落とす。
それを村上独特の作法で腹を裂く。
胸びれから腹びれまで包丁を入れたら、
そこで数センチ残し、ふたたび尻びれまで裂いていく。
“ボタンをかける感じ”
城下町だから切腹を忌んだと云う話しもあるが
このほうが、できあがりの姿がはるかにいいという。
はらわたを取り去って、塩を擦り込み、寝かせる。
その後、塩抜きする。
最後に、竹べらで表面についた脂や塩をじっくりとこすり取り、
ひれの姿をととのえ、
首つりでなく、頭をしたに、
風通しのいい、直接日光の当たらないところに吊す。
鮭の酒びたし、あとは、半年から1年じっくり、
村上の風土がきちっと仕上げてくれるという。(ご馳走の手帖より)

その作業場では、
僕が最初に“村上”に出会った文章で筆者にその熱い思いを語っていた
喜っ川主人の吉川哲鮏さん、
町屋保存を進める村上町屋商人会のキーパーソン、専務の真嗣さんが、
“人形さま巡り”で訪れた遠来のお客さんに“村上の鮭”の物語をしている。

酒びたしのそぎ身、1袋33g千円を4袋。ちょっと贅沢だけど。
これは、外すわけにはいかない。
【味匠喜っ川 : 】http://murakamisake.com/  

道路に面したアーケードを抜け、大町の信号を西にとる。
町名は、そこに住まう人びとのこだわりと強い意思を表すように、
1ブロックごとに細工町、安良町、小国町、鍛冶町、肴町とかわっていく。

【城下町村上絵地図 町人まち界隈】

今は、車の往来も少ないが、長年、旧市街と駅とむすぶ生活幹線であったはずだ。
かろうじて車が行きちがうことのできる古びた舗装道路の中央に、
融雪水の出口を施したコンクリートの帯がつづいている。
そして、2階屋だけど、
今の建物よりずっと背丈が低く、腰の据わった町屋が
駅に向かって左側を中心に何軒か連なり、
これらも含めてたくさんの店が“人形さま公開中”の立札を掲げている。

そんなひとつ、小国町の角で、
重厚ななまこ壁を構える御茶屋さんをのぞいてみる。
中はお客さんでいっぱい。
お茶も振る舞われている。

村上は茶の生産地としては日本の最北限の地にあり、
この九重園では、自ら茶摘み、製茶を行っているという。
店内の正面には、漆に“製茶”の金文字が入った大きな看板、
その脇の棚には“朝日野九重”“越後富士”“越の花”など
銘柄が書かれた漆の茶箱がたくさん並んでいる。

そろいの割烹着をきた店員さんが忙しく行き来するなか、
明るい色のブラウスにカーディガンをきた
上品そうな女性がゆったりと応対をしている。
“ねぇ、ねぇ。あのひとが若奥さんで、
奥でお雛さんを説明している和服姿の初老の女性が家刀自様じゃいかなぁ。
いい雰囲気。。”
“そうぉ~かなぁ~”
お客さんも含めて、店内の大勢の人たちの中、
ひときわ目立つ二人について、とりとめない想像をする。
【九重園のお雛様: http://homepage3.nifty.com/kokonoen/ningyo0013_1.jpg
     お店:http://homepage3.nifty.com/kokonoen/stf0003.jpg 】 

“よそもの”は、結局のところ、
そこで出逢う人たちが醸し出す雰囲気とホスピタリティーの総和で
そのまちの文化を判断するしかないもんね。

店をでて、もと来た道を振り返ると
晴れた冬空のもと、背丈を抑えた家並みの向こうに、
北面にいくぶん雪を残したお城山が望める。
道路にかかる町屋の影もだいぶ伸びてきた。
くるまはほとんど通らない。

【小国町の町屋風景とお城山(九重園サイトから)】
 
“このまま、寺町の横を通って、イヨボヤ会館まで歩きたいんだけど。。
 あと、〆張鶴の宮尾酒造も行きたいな。”
三人で、とりとめない話したり、
絵地図で方向をたしかめりしながら、
また、長いかげをつれて、村上のまちをトコトコと歩きはじめた。

**********************
彼女は、夕方まえに新発田へ帰っていった。
“これから、下の女の子の髪をつくってあげなきゃいけないの。”
お家で美容室をしていて、あしたは娘の成人式だという。
忙しいところ、本当にありがとうございます。

もう、互いに年を重ねてきたから、
もしかしたら、また会うことがあるかもしれない、ぐらいかな。
宿舎の玄関から、小さくなったパイザーが日本海につきあたった道を南に消えるを見送りながら、
ふと、そんなことをおもった。

その日は、市街から15分ほどの瀬波温泉に泊まった。
明治37年、石油の採掘中に湧出した若い温泉で、
泉温は高く、湯量も豊富という。
いつも宿選びに気をつかうが、
“はぎのや”さんにした。
源泉82.3℃、ナトリウム-塩化物泉(低張性・アルカリ性・高温泉)、掛け流し。
なんとか当たったようだ。

部屋から、松林越しに日本海がうっすら望める。
でも海鳴りは聞こえない。
そして、翌朝、音のない世界に気づき、
窓から外を見渡すと、
白と褐色のモノトーンの世界に変わっていた。

【雪の瀬波温泉-うっすら日本海が望める】
**********************
ことしの夏は、例年にない暑さがつづいた。

きっと、村上のまちのそこ此処に吊り下げれた鮭たちは、
うだる暑さに汗をかきかき往来する人々を日陰からみながら、
しずかに熟成をつづけているはずだ。

閲覧数2,260 カテゴリクチコミ情報 コメント0 投稿日時2007/09/07 21:12
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