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2007年01月15日(月) 
ふゆはつとめて。上田特有の放射冷却現象で朝9時前の気温がマイナス5度。窓ガラスに氷の結晶ができていました。雪氷のように形が出来る不思議。毎日目にする独鈷山も寒々として実に美しく見えます。
閲覧数2,646 カテゴリ日記 コメント8 投稿日時2007/01/15 23:26
公開範囲外部公開
コメント(8)
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  • 2007/01/15 23:59
    正面の山は蓼科でしょうか。
    次項有
  • 2007/01/16 00:45
    ずっと手前の山でしたね。
    もう少し左手に蓼科は望めるのでしょうか。
    次項有
  • 2007/01/16 00:59
    蓼科山はこの位置からは手前の低い山が邪魔して望めません。一つ隣の谷筋(向かって左方向、国道174号線沿い)からだと山頂が見通せます。

    文字だけだと伝えにくいですね。
    次項有
  • 2007/01/16 14:35
    オメメさん
    ミッチ-さん、長野県の上田でしたか。
    私、上田の隣の祢津村に小学校の1年を過ごしました。今は東部町になっていますけど、上田までは、当時、木炭を炊いていたバスが走っていました。
    みすず飴を買って帰るのが大の楽しみでした。
    真っ白い更級ソバも上田で覚えました。
    次項有
  • 2007/01/16 20:04
    オメメさん
    これは奇遇です。
    そうでしたか。小学校1年間の記憶がそこまで残っているのですね。東部町は北御牧村と合併し東御市になりました。木炭バスというのは戦時中のことでしょうか。みすず飴、更級そばは今も変わらずです。
    次項有
  • 2007/01/17 11:59
    オメメさん
    いえいえ、戦後です。満州から引き上げてきて
    祖父の家に一時期いたのです。
    そのごも何度か祢津には行っています。
    田中の駅までは歩いていましたけれど、上田にはバスでした。
    奇遇といえば、実は赤穂市に住む川柳作家の
    大西泰世という方の紹介で知り合った川柳をなさる方の実家が上田の駅前の方だったりもしたことがあります。
    次項有
  • 2007/01/18 01:07
    オメメさん
    終戦直後も木炭バスが走っていたんですね。
    最近の上田周辺の様子は以下のサイトに載せています。お時間のあるときにでもご覧ください。
    http://www.yamagata-net.jp/usr/mae/hobo/rgn/
    次項有
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