文化大革命の後期において、「水に落ちた犬は打て」(打落水狗)というスローガンをよく耳にした。< 打落水狗 >(ダー・ルオ・シュイ・ゴウ) 私は、この言葉に違和感のようなものを、今も強く感じている。 これを、中国の諺だと紹介している人もいるし、また朝鮮の諺には「川に落ちた犬は棒で叩け」というのがあるのだそうだ。 これらからすると、儒教教育にも行き届いた国というのは、何やら受け入れ難たくもある思想を持っているのだとも思うし、これ等の国々の歴史から考えると、さも在りなんとも思う。また、なるほどと思う事例もある。 さて、「水に落ちた犬は打て」(打落水狗)の語源なのだが、これはどうやらあの魯迅が言った言葉らしい。それが革命のスローガンにも使われたようだ。そして、魯迅とは、そういう奴だと紹介している方も多い。 また、元々は中国の諺にある「不打落水狗」をもじって魯迅が言った言葉だとも。(この諺が本当にあるのかどうかは、疑問) そんななかで、こういう解説をされていた方がいらしたので、ご紹介をしておこう。(不覚にも、引用先をメモってなかったのでご勘弁くださいまし。) 発端は林語堂の文章でした。林語堂は1925年12月14日に《語絲》第57期で《語絲の文体に議論を差し挟む――穏健・罵倒・フェアプレイ》という一文を発表し、その中でこう述べています。 「“フェアプレイ(費厄溌頼)精神は中国では最も得にくいものであり、我々も努力発憤しなければならない。中国の“プレイ”精神は非常に少なく、ましてや“フェア”は言うまでもない。これはいわゆる“井戸に落ちた者に石を投げる(下井投石)”のを肯定しないという意味である。人を罵る人にはこの条件が避けられない。それは、人を罵るならば、罵られるということである。また、失敗者にあえて攻撃を加えるべきではないというのは、わたしたちが攻撃するのは思想であって人に対してではないからである。今日の段祺瑞、章士訢を令として、我々はこれらの人々をこれ以上攻撃すべきではない」 これに対して魯迅は以下のように答えたわけです。 「《語絲》57期で語堂先生は「フェアプレイ」について提言した。このような精神は中国では最も得にくく、我々は努力すべきだという。また、「水に落ちた犬を打」たないことを「フェアプレイ」の意義として補足している。 私は英文がわからないので、この言葉の意味がどのようなものだかまるで不明なのだが、もし「水に落ちた犬を打」たないことがこのような精神と一致するのであれば、すこし議論したいと思う。」 となると、「下井投石」という原文に対して魯迅が「打落水狗」と答えているわけで、はてな流にいえば「ずれた回答」となります。ただ、ここで魯迅は「打死老虎」(老いた虎を打つ=弱い者を攻撃して実力以上に見せかける)と対比するために「打落水狗」という言葉を作り出したのではないかと思われます。 要は、中国には『フェアプレイ』を意味する言葉も考えも無かったのだ。今でも「打落水狗」であるべきだと考えている方々も、彼の国々では多いようだ。 また、日本でもマスコミのことを「打落水狗」と言う場合もあるようで。 |