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南氷洋での捕鯨が終わると、捕鯨船団は日本に帰ってきます。4月下旬、図南丸は上質の鯨肉をお土産に相生に入港し、夏季はペルシア航路でタンカーの任務につきます。そして、秋になると再び相生に帰り、ドック入りして南氷洋へ向かう準備をします。キャッチャーボートや冷凍運搬船、油槽船など船団を組む船も相生に集まってきます。 昭和37年の場合ですと、10月23日相生を出港、10月30日神戸から南氷洋へ向かい、11月22日南氷洋に到着予定となっています。 「図南丸が入ったよ」という会話を聞くと、小学生の私も何となく心はずむ気分になったような想い出があります。 停泊し … [続きを読む] |
相生を出航した図南丸は大阪に入港、10月31日船団を率いて大阪から南氷洋に向かいました。これが第6次の捕鯨です。 図南丸は、昭和26年から昭和40年10月出港の第20次まで南氷洋で15回の捕鯨に参加、日本水産は第二図南丸とあわせて二つの捕鯨船団を保有していました。昭和41年春の帰国で南鯨は終了し、図南丸は昭和42年から45年まで、北洋の捕鯨に4回出航、昭和46年にすべての任務を終了しました。 写真は、鯨のヒゲに描かれた図南丸 1952 No7WHALING TONANMARU |
図南丸出航の日、造船所が見える青木の鼻から横山海岸には、市内の生徒五千人をはじめとして多くの市民が集まり、日の丸の小旗を振って図南丸を見送りました。 ドックを出た図南丸は、小旗を振る市民の前まで曳航されてから、相生湾を南下しました。生徒たちは、この日のために作曲された南氷洋捕鯨の歌を歌い、図南丸を見送りました。 南氷洋捕鯨の歌 作詞土岐善麿 作曲 堀内敬三 時は来たれり 菊日和 壮途輝く 黒潮や 赤道遠く希望を乗せて 船団浪を衝きゆくところ 祖国よ今ぞ栄えあれ 踊る巨体に 雲晴れて 意気も鋭く放つ銛 南氷洋 … [続きを読む] |
船上の乗組員も、最後の別れを手に手に打ち振っている。雲の間から、薄日が落ちて、彼女の姿をくっきり浮き立たせている。 本当にさようなら。快速十五節を誇る女王は、エンジンの音もなく、薄く煙る水平線上に、小さく黒点となって、一路大阪に向かった。 新播磨新聞1951年10月18日号より 手を振る乗組員 写真提供 高田さん 去りゆく図南丸 写真提供 IHI |
狂気地味た声、声、波、波。船の動きにつれて移動する人の波。振る旗、振る手、泣いている、一人二人三人、数え切れない。涙こそ出ず、ちらっと見上げる人々の目にキラッと光るものが見える。うれしいのだ、うれしいのだ。自分たちの子どものようにいたわりつづけた難作業を終えて今、再建日本のために世界捕鯨戦に従で立つ姿なのだ。 泥にまみれて相生湾に投錨した4月の初め、赤錆びの怪物が「こんなにきれいになりました」と云わんばかりに笑っているようである。見送りの船に付き添われて、船は岸壁を遠く離れた。切れたテープが風に揺れている。別れを惜しむ人々は … [続きを読む] |
オオ、動いた。彼女は静かに移動し始めている。赤穂丸・甲崎丸等五隻のタグボートに曳かれながら、全長163メートルの巨体が巣立つ晴れの瞬間である。送る者、送られる者、細い五色のテープを流れて通う無言の情。サヨナラ、サヨナラ図南丸。 写真提供IHI |
昭和26年10月18日、図南丸は南氷洋へ向け相生を出航しました。図南丸の出航の様子は、新播磨新聞に詳述されています。 新播磨新聞1951年10月18日号 雄飛せよ、図南丸 親の手に見送られ18日出航 薄曇りの秋空、波静かな播磨の海、ここそこに影絵のように霞む山々。みどりの山と対照的な万国旗に飾られた船。播磨造船所第二ドックに静かに2万2千トンの巨体を休めているこの船こそ、6000従業員が6ヶ月の間、汗と油にまみれて今日の日を夢見た図南丸再生の姿である。捕鯨日本を誇る日本水産と播磨がなしとげた世紀の一大事業完成の晴れ姿である。 午前10時を示す頃、出港命令 … [続きを読む] |
昭和26年10月17日、図南丸船上での記念撮影。中央にGHQ、その左右に日本水産と播磨造船所の社長が着席しています。 この年、9月8日に講和条約が調印されましたが、まだ発効しておらず、日本はGHQの統治下にありました。 |
10月10日の公試運転をおえて、相生の町は図南丸一色に塗りつぶされました。10月15日、相生信用金庫本店大広間の前夜祭で相生高校女生徒とハリマバンドが「捕鯨の歌」を披露、16日には相生市主催の壮行会が天神山で開かれました。そして、10月17日、図南丸の甲板において日本水産への引渡式と命名式が行われます。日本水産の鈴木社長が「第三図南丸」を「図南丸」と命名、メインマストの播磨造船所社旗が日本水産社旗に替えられました。午後の船内参観には3万人がつめかけ、負傷者まで出たと新播磨新聞は伝えています。 写真提供IHI |
4月15日、相生に到着した第三図南丸が停船するとただちに作業が始まりました。4月20日、第二ドックに入渠して修繕箇所を点検、岸壁に戻して泥・廃油を取り除き、さびついたエンジン・ボイラーをとりはずして再入渠させ、修繕を開始しました。第三図南丸は、大阪鉄工所で建造されましたので、播磨造船所に完全な図面がなく、不備な部分は実測して図面を揃えました。 工事は「再建と破壊の並行」といわれたほどで、最下部の外板まではぎとる部分もありました。6月上旬、外板の取り付けを始め、毎日2000人をこえる工員を動員して工事を進めました。7月25日の入水式で浮揚に成 … [続きを読む] |
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