県下146名の生徒さんでした、6ヶ月の講習を終わり「防災士」の受験を受けました。
「防災士」は国家資格ではありません。 収入につながる資格でもありません。 ボランティアであります。
災害が起こったとき知識・技能で役にたつ? NO! 平時に家族や自治会など市民の意識改革が役割 そして、それが「減災」への最大の効果だからです。
兵庫県では600名程度の「防災士」を養成したら、一旦は方向を変えて別の方向に向かうみたいであります。 559万人(兵庫 05年)で600名とは1万人に一人の割合ですから、九牛の一毛でしょう。 有事の際には、殆ど、互助・公助の助けにはならない程度の割合でしょう。
実は、”平時の活動が大切”なのであります。 「阪神・淡路大震災」の”あの恐怖の体験”のある人は、もう「防災士」の資格があるようなものです。 様々な災害に遭遇し苦労された方も「防災士」並でしょう。 体験をつなぎ・語り・伝えて・・・・・やがて人の心の奥にでも”意識”していただけたらいいのです。 危険は突然や予告されたりしてきます。 しかし、予防するのは個人であり、家族・保護者であります。 行政である消防・警察は平時でも事故・事件に奔走をしております。 行政は平穏なときは「訓練」を重ねて、一般市民では見えない所で、多忙な状態であります。
行政をあてにするな…とはいいません。 しかし、自分のことは自分で、そして、予め避けられる危険にはなにか対処をしておく…のは市民の個々の”責任”でしょう。
心理学では「危険楽天症」みないなものがある。 即ち、”オレは事故に遭わないだろう” 「おれは死なないだろう” ”今まで安全だったのでこれからもそうだろう”がそれです。 なにも神経質になり「杞憂の民」のように、いつ空が落ちてくるかの心配は無用ですが、現代知識人としての最低限の対策は当然ではないのでしょうか。 有事に備えて3㍑/日/人の水も確保できない市民を、11万4千人を助ける側に立って見てください。 私だったら、そういう住民は救助優先順位を下げたくなります。
行政はあてにならないのではなく、危機に関する個人の意識が課題です。 そして、天は自らをたすける者をたすけるものなのです。 さらに、ボランティアとして宣教するのが「防災士」です。
三田からは31名の生徒さんが頑張りました。 この日を記念して、ホワイトデーには総会をと提案したら会長に!
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