書き込み数は75件です。 | [ 1 2 3 4 5 6 7 8 ] | ◀▶ |
ペーロン岸壁から、対岸の造船所が見えます。 振り返ると、町のある側に風変わりな建物があります。 今は、大本組の事務所になっています。 この前の日曜日、相生歴史研究会の会長から、「戦時中、この建物は憲兵隊の本部だった」と聞きました。 私は、てっきり、昔から大本組の建て物だったと思っていました。 大本組は、現在は岡山に本社を置く大手の建設会社ですが、発祥の地は相生です。 大正時代、鈴木商店が播磨造船所を拡張するにあたり、因島の造船所から三上英果技師を招きました。若き日の大本百松翁は、三上技師を慕って相生に移住、大本組を設立して播磨 … [続きを読む] |
ブログを書くために乾電池を保管しているケースを数年ぶりに開けてみました。 やはり、いくつかの乾電池は悲惨な状態に。 3個とも、1990年頃の初期のアルカリ電池です。 液漏れした電解液が乾いて怪しげな物質ができています。 綺麗な電池だったのですが、これにて埋め立てゴミになります。 家内が勝ち誇ったように「だから捨てろといったでしょ」と言うのが悔しい。 マンガン電池は、錆びが少し広がったものはありますが、アルカリ電池ほど悲惨なことにはなっていません。 アルカリ電池が普及した1990年代からの電池のデザインはかっこよくないもの … [続きを読む] |
雨内に古い写真をスキャンさせていただきに行きました。 公民館にある古い写真の額を撮影します。 お祭りの写真に混じって、地元の米屋さんが、江戸時代からの米価を記録した絵馬がありました。 内閣・事件と米価の推移が並記してあり、素晴らしい資料だと思いました。 ここ雨内は米どころで、山越えで相生・赤穂へ行ける交通の要所でした。 祖母は、鉄道が開通した頃、周世から雨内に汽車を見にいったそうです。なぜ、周世坂を越えて有年にいかなかったのだろうと思っていましたが、考えてみると山陽鉄道は有年まで開通したのですから、有年では駅に停車してい … [続きを読む] |
昨晩は、氏神様の那波八幡宮の宵宮でした。 今年は、獅子舞に中学生が加わったそうです。 思い立って 、隣の部落の八幡様の宵宮にも行ってみることにしました。 夜道を歩くこと20分あまり、佐方八幡宮につきました。 佐方でも獅子舞が行われていました。 こじんまりしたお祭りですが、熱気が籠もっています。 子どものころは、祭りというと出店が楽しみで、獅子舞はバックミュージックのようなものでしたが、近年、獅子舞は本当におもしろいと思うようになりました。一時間見ていてもあきません。 いまどきの、しょうもない民放のテレビより、ずっと上。踊り手も … [続きを読む] |
いつの頃からか、私が卒業した小学校跡地の隣に泡子地蔵ができました。 お地蔵様から、坂道が続いています。 あれはいったい何かいな?と常々疑問に思っていましたが、 今日は30分ほど待ち時間ができたので、 坂道を登ってみました。 坂道を少し登ると慰霊塔があります。何の慰霊塔でしょう? 裏側に、昭和38年相和会とあります。 昭和38年というと、小学校の5年生でしたが、こんな慰霊碑がここにあったのかなあ、記憶にありません。 さらに、坂道は続きます。 山の中腹に、金剛山不動堂がありました。今日は無人のようで閉まっています。 … [続きを読む] |
先月、相生市制70周年を記念して、相生市出身の日本画の大家、福田眉仙の展覧会がありました。 私も、一日、係員として展示会場に座っていました。当日、一緒に係になっていた女性が、なんと福田眉仙の生家を継いだおられる方で、たくさんお話を聞くことができました。 ところで、私もヤフオクで買った福田眉仙作という掛け軸を二本持っています。もっとも、いくらで買ったのか忘れてしまったほどの掛け軸なので、真贋のほどは定かではありません。買ってから、何年も床の間にかけっぱなしです。 これまで、掛け軸などに興味はなく、福田眉仙の絵を間近に見るのも初 … [続きを読む] |
[ 1 2 3 4 5 6 7 8 ] | ◀▶ |