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2010年09月08日(水) 

生の冠

 

 

 

1月から窯詰めの4月までの時期はほぼ毎日工房にいて、ほとんど人とも会わない。

制作のプロセの中で、仕上げは至福の時間だ。

ただヘラで面を削ってるだけでもなかなかやめられなくなる。

ナイフの先端の一身じろぎ、ヘラの一震えから微細な差異が無邪気に転げ出てくる。

面ができる。

縁ができる。

開口部が切り抜かれ内と外がつながる。

そのどの瞬間にも無数の微細な差異が戯れている。

 

何かが現れて来つつあるのがわかる。
現れて来つつあるものが現れて来ながら私を驚かせる。

現れて来つつあるものの現れそのものが深く私を感嘆させる。

私の手は偶然にゆだねられる。

微細な差異との戯れに没入する。

そんな時間がいつまでも当てなく過ぎて行く。

(…という言い方は違うな)

そんな〝ここ・今〟がいつまでも当てなく反復している。

 

変化していくどの段階でも、目の前の〝〟は美しい。
不思議だ!

「美しい」と感じてる。

「美しい」が何なのかもわからないのに。そう感じてる。
《あぁ、今この瞬間にすべてが消滅したら、最高に幸せなのに》って感じてしまう。

これがきっと「美しい」なんだ。

 

「美しい」は対象ではない。

「美しい」は概念でもない。

「美しい」は理念でもない。

 

「美しい」は鑑賞ではない。

「美しい」は分析でもない。

「美しい」は理解でもない。

 

 それは溶融だな。

 

……
そうこうしてる内になぜか制作は終わってしまう。

終わりは突然来る。

終わってしまったときは妙にガッカリする。

ついさっきまで私と一体だった〝〟。

今は素っ気ないただの“モノ”だ。

私の中で何かが急速に冷める。


関心を失って素地(しらじ)は忘れ去られる。 脚注1

乾燥棚に白々と乾いた〝モノ〟が少しずつ増えていく。

工房は意味のシステムの外部との境界だ。

ここではそれらは端的に無意味だ。

まるで現実だ。

現実の荒野だ。

 

忘却の内に何週間が過ぎる。

乾燥棚の方にかすかな気配が感じられる。

なにかささやきかけているのだ。〝〟たちが。

あまりに小さくてよく聞こえない。

近寄り耳を澄ます。

ああ、聞こえる。

こっちに来い」?

確かに聞こえる。

こっちに来いこっちに来い

 

私は呼び声に応える。

 

 

 



  脚注

1:素地 しらじ ・・成形され乾燥した状態の作品をこう呼ぶ。

 

 

 


閲覧数623 カテゴリ★ポロリ・タラリ・ピロリズム  連載中! 投稿日時2010/09/08 22:07
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