Mastroianni
Absurde 脚注1 A・カミュが一時大はやりさせた 不条理 だ。 この言葉、フランスでは普通に「馬鹿馬鹿しい」とかで使われている。
それはなんでも分かりたがる人間に対する「世界」からの反抗みたいなものとも見える。 本来馬鹿馬鹿しい世界に対していつも馬鹿馬鹿しくないらしさを求める。 「それはきっとこう言う理由だ」と明晰に分析でき理由づけ出来る〝条理らしさ〟を世界に強要する。 そして器用に!馬鹿馬鹿しい中から条理らしく見える部分だけをむしりとって、自家薬籠中の物にして有効に利用しかつ安心する。 しかし実際に不条理な問題に直面した人間には、世界の姿は馬鹿馬鹿しく写るのだ。 普通馬鹿馬鹿しいのは人間と人間との間で起きることだが、人間と世界の間で起きることはさらに馬鹿馬鹿しい。 誰しも真剣に、懸命に、生きているのに(…たぶん)「なんて馬鹿馬鹿しいんだ!」と呆れるほど馬鹿馬鹿しい。 それがAbsurde!だ。
人生の真実が姿を現しているのだ。 きっとそれもどうしょうもないのだ。 なんと馬鹿馬鹿しいのだろう。 誰かは喜び誰かは失望し誰かはあきらめるのだろう。 同じようなことがずっと繰り返されてきたのだ。 世界としては何も良くなったワケではないし悪くなったワケでもない。 社会としてもたいして良くなったワケではないしたいして悪くなったワケでもないのだ。 ただ当面の変化が起こっているだけなんだ。 それもまた馬鹿馬鹿しい話だ。 永遠に馬鹿馬鹿しい世界が反復する。 この絶望的状況をAbsurde!と呼ぶのだ。
この馬鹿馬鹿しさを希望や夢や、道徳や理想でごまかすことなく、極限までしっかり直視する人は、馬鹿馬鹿しくもみな優しい。 そういう人は何度も何度も、この馬鹿馬鹿しくも不条理な世界に絶望してどん底まで行って帰って来たのだ。 だから君は海水浴にゆき、女とデートし、喜劇映画を見て笑いころげたりもするのだ。 なんとなくオモチャのピストルの引き金を引いてしまうかもしれないのだ。 そしてきっと「太陽のせいだ」脚注2と審廷で証言したりするのだ。 これがAbsurde!馬鹿馬鹿 しくなくて何というのだ。
脚注 1:absurde (アプスュルド)仏:[形]不条理な;不合理な;ばかばかしい 2:アルベール・カミュの小説「異邦人」の主人公ムルソーの「太陽が眩しかったから」と言う台詞が有名。ヴィスコンティ監督マストロヤンニ主演で映画化されている。 ちなみに、タイトルのCe n'est pas de ma faute.は、〝私のせいじゃない〟と言う意味で、やはりムルソーのセリフだ。 |