部品としては、君も嘗ては優秀な部品だったのかも知れない。 バリバリ数字を叩き出していたかも知れない。 上からは褒められ下からは畏敬されてたかも知れない。 しかしどんな部品もいつか消耗するし、システムの更新に追いつかなくなる。 昔どんなに優秀な部品だったとしても消耗したら新しいのと交換だ。 まだまだ使えたとしても新式と交換だ。 当然のことです。新しいのもまたすぐに消耗し古くなるけどね。 人間は人間社会の中で一つの機能でしかなくなって行くことに喜びを見出す。 人は人であることよりも盲従的器官にまで縮小することを人生の目的とする。 自ら進んで有用性の天秤に自分を乗せるのだ。 そして幼少期から部品としての可能性の優劣を他と競い、業績を上げ良い部品であると評価されることを誇りに、つまり自分の存在理由にして生きる。 自分がいくらでも交換のきくただの部品だと言うことはつい忘れ、互いに他人の欠点をあげつらいあう。 自分だけは例外的に交換不要の良い部品だと、手前勝手な自負を思い通りに行かない渡世の杖にする。 評価は共時的にも通時的にも相対的で恣意的だが、そんなことは承知の上。 「私は優れた部品だ」 部品らしい人間であることは素晴らしい!
僕はそんな素晴らしい部品らしい人間なんかになれなくたっていいもーん。 欠陥品でけっこう。役立たずでけっこう。取り柄無しでけっこう。アカンタレでけっこう。ハネヒンでけっこう。 僕には誰も例外なくただの欠陥品に見える。 まともな人間(部品)なんて見たことない。(君は見たことある?) よくこんな欠陥品の部品ばかりで人間社会は走り続けられるなぁ。 それにしても、欠陥品にしては皆よく頑張ってるな。 皆一丸となって利潤を追及して、会社の為なら不正もいとわず、陰では私腹も肥やしたり、バレたら土下座、スケープゴートにされたら自殺。 ある意味すごいテキトーさ加減だと思う。 部品には部品の善悪の彼岸があるんだねぇ。 尊敬するなー。 君も、よく頑張ってるよ。欠陥品にしてはね。 まあ、僕だって頑張ってるるんだけどね。 もちろん部品としては役に立たないからね。 ありがたいことに悪しきレースには参加資格がないだけのこと。
そこで目が覚めた。 あー、夢かー?! 昼食後の瞬間的なまどろみで変な夢を見てしまったな。 疲れてるなー。
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