古家と津川と井上凌(20)は、和崎の事務所のミーティングテーブルを4人で囲んでいた。政夫のレストランで相談した企画を、より実現に近づけるための助言をもらうためである。このミーティングのファシリテーターは、前回はあまり発言せずに食欲に走っていた若い井上を古家は指名していた。井上の自宅が和崎の事務所に一番近いこともあるが、EDT企画を説明することでプレゼンテーション能力を付けさせようという先輩の配慮だった。古家たちの指導を受けた井上は、企画を10枚のパワポにまとめ、かつ20分ですべてをきちんと整理して見事にわかりやすく解説を行った。大手広告代理店への就職を目指す井上にとっては、さぞやよい勉強になったことだろう。 井上は、店舗側の思いを「リスクや投資がない」「集客数と販売数がコントロールできる」「PR効果が高い」「新規集客やリピーターが期待できる」「少しでも利益が出る」とし、利用者のニーズを「信頼できかつ詳細な情報を得て、ご近所の良質な店舗を選択し、平常より少しお得に利用したい」とまとめた。「先生、こんなわがままな希望が叶う方法って何かありませんでしょうか?」と問いかける井上たちに、にこにこ顔で説明をじっと聞いていた和崎が語り始めた。 「前里さんのレストランのことはよくわかった。だけどこの課題って、固有の事例ではないよね。地域の中で同じような悩みを持っているお店も少なくないんだろう」。井上が「ぼくたちもそう考えて、知り合いのお店にヒアリングをしてきたんです。すると緊迫感の違いこそあれ、多くのお店が「週末と平日」「ランチとディナー」のギャップをどう埋めるかが課題と考えていました。また、信頼できる地域のグルメ情報をゲットするのが困難なことも挙げられていました」と応えた。そして「前里さんのケースだけを解決するなら、ぼくたちのネットワークでも力業でなんとかそこそこはいけるように思うのですが、それを地域に広げようと考えるともうお手上げです」と続けた。 「社会問題を総合的に解決するために、実学重視で具体的な問題の構造の把握し、ビジョンとミッションと達成方法を提案するアプローチ。まさにこれこそ『総合政策学』、みんなよく勉強してきたね」。和崎は学生たちの努力をねぎらった。「そこまで考察が進んでいるなら、お手上げとはいえ手ぶらで来たわけじゃないだろう」と投げかけると、古家が「こたつ先生、『アイデアソン』を開催できないかとみんなで相談していたんですがいかがでしょうか」と返してきた。 「アイデアソン(Ideathon)」は'Idea'と'Marathon'を合わせた造語で、複数のメンバーでグループを作り、メンバー全員で「アイデア」を出し合い、練り上げていく参加型の短時間ワークショップ。集中してアイデアを検討するため、参加者は時間に比して大きな達成感を得ることができる。また、特定のテーマに興味と知識をもった人たちが集まり考えるので、裏付けをもつ先進的なアイデアが次々と生まれる。そして、短時間で密度の濃いコミュニケーションを行うので、チームのメンバーのスキルや興味が互いに把握でき連帯感が生まれるという効果がある。今回は地域の良質な飲食店が抱える課題をテーマに、参加したメンバーがそれぞれ一人称で解決方策を出し合い、地域の課題と解決に必要なデータを結びつける「課題解決型アイデアソン」を目指そうという狙いだ。 ここまで考察と準備が整っていたら文句の付けようがない。アイデアソン全体を進行するモデレーターに古家良和、各グループのファシリテーターを田中隆祐、井上凌、津川愛莉、玉田さと子が務め、その他にテーマに興味のある大学生4~5名を古家たちが集め、和崎がさまざまな立場の社会人20人程度に声をかけて、2週間後の日曜に開催することを決めた。和崎の会社の2Fには「ひょこむカフェ」と呼んでいるフロアがあり、SNS仲間のオフ会や勉強会、カラオケ大会などに利用している。30人程度のセミナーなら十分余裕があり、無料というのがありがたい。 和崎が古家たちに授けた言葉は、「近江商人の三方よしの上手をいく四方一両得を見せよう」。三方よしは「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということ。それを超えるデザインを考えることを目標にしようという意味。アイデアソンの投票結果は尊重しながらも、複数のアイデアを融合的な視点で捉えて、関わる人たちすべてにメリットがある仕組みの構築と楽しい仕掛けを考えることだった。世間をあまり知らない若者たちには少々荷が重い課題のようであったが、挑戦することに意味がありそのプロセスに成長があるものだ。失敗してもそこからたくさんの学びがあるのが若さの特権である。 つづく この物語は、すべてフィクションです。同姓同名の登場人物がいても、本人に問い合わせはしないでください(笑) |