> komekomeさん
ちょっと複雑な事情がありますので、別項でまた。
約半世紀前、フランスの喜劇役者ジャック・タチという人が一本の脚本を書きました。 それは、タチ自身の自伝に近い内容の脚本でした。 しかし、諸般の事情でお蔵入りとなり、やがて世の中から忘れ去られてしまいます。 半世紀後、偶然にもこの脚本が発見され、タチの娘ソフィアの意向によってタチを敬愛してやまないアニメーション監督シルヴァン・ショメの手腕に委ねられる事になります。 このような経緯で生まれたのが長編アニメーション「イリュージョニスト」です。 物語の舞台は、1950年代の花の都パリから始まります。 ロックンロールやテレビが世界中を席巻し、やがて時代の流れは古きものを追い落とすかのように猛然と突き進み始めた頃です。 主人公は、昔ながらのマジックを披露する初老の手品師(イリュージョニスト)タチシェフ。 かつての人気は既になく、三流の劇場や場末のバーでドサ回りの日々が続いています。 ある日、スコットランドの離島に辿り着いた手品師は、やっと電気が開通したばかりの片田舎のバーで村人相手に手品を披露して何年かぶりに拍手喝采を浴びます。 そこで給仕や雑用係をしていた貧しい少女アリスと出会います。 世間を知らない純真なアリスは、手品で何でもお願い(それはそれは慎ましいお願い)を叶えてくれるタチシェフを魔法使いと信じ込んでしまいます。 そして、離島を出発するタチシェフに付いて来てしまいます。 もちろん、アリスは無賃乗船ですが、タチシェフが得意の手品で急場を凌ぎ、初老の落ちぶれた手品師と世間知らずの純真な田舎娘の二人の旅が始まります。 主人公タチシェフはフランス人、田舎娘アリスはイギリスの離島出身。 アリスの話す英語は、どうも私達が習った英語ではなさそうです。 日本語で言えば、「東北弁」のような感じではないかと思います。 旅慣れたタチシェフにもアリスの言葉が全く聞き取れないようです。 という訳で二人は言葉が通じません。 そこで、身振り手振りで気持ちを伝えようとします。 また、タチシェフは旅行者向けの仏英辞典を取り出して四苦八苦しながら会話をしようと努力します。 しかし、基本的に二人の言葉は通じませんので、一生懸命に相手の気持ちを理解しようと頑張りますが時にはちょっとした行き違いも生じてしまいます。 そんな「父と娘」にも似た二人の束の間の幸せな生活は情感豊かに描かれていていますが、ラストシーンはとても切ない幕切れとなっています。 特に、切ないシーン。 最近知り合った若者との楽しいデートの後、タチシェフが待っているだろう安宿に勢い込んで帰ってきたアリス。 そこには、頼りにしているタチシェフの姿はなく、花束と幾許かのお金と一通の手紙が残されていました。 タチシェフは偶然にも街角で二人のデートを目撃して「自分の役割は終わったな。」と感じて、そっと姿を消したのです。 そして、その一通の置手紙には一言。 「魔法使いはいないんだよ。」 この部屋に一人取り残された事に気が付いた瞬間のアリスの表情は何とも言えません。 このタチシェフとアリスの間で、言葉が充分に通じていたらもう少し違った結末になっていたかも知れないとも思えます。 しかし、言葉が通じていてもやがてはタチシェフとアリスには別れがやって来たようにも思えます。 救いは、まだまだ若く未熟ですが純粋なアリスの「思いやりに溢れた日々のふるまい」です。 たとえば、こんな場面があります。 タチシェフとアリスが長逗留している安宿。 アリスは、その安宿に逗留しているタチシェフの仕事仲間のピエロ役者の部屋までお手製の一杯のスープをお裾分けに持って行きます。 この一杯の温かいスープがピエロの自殺を思い止まらせました。 どうもタチシェフの人生の中にこれに似たようなエピソードがあったようです。 そんな娘・アリスなら、何とかこの世の中を渡って行くことでしょう。 このアリスに投影されていただろうタチシェフの実の娘ソフィアは、「イリュージョニスト」の完成を観ずにこの世を去ったそうです。 日本でも、一刻も早くブルーレイディスクが発売される事を切に願っています。 最後に流れるエンディング・クレジットに日本人の名前を見付けました。 フランス・イギリス合作の長編アニメーション映画「イリュージョニスト」の製作にanimaticという役割で鈴木亜矢さんという人が参加されたようです。 さぞ、良い経験をされた事でしょう。 http://ayasuzuki.blogspot.com/ |