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2016年04月01日(金) 
しつこいようですけど、今日もアルザス紀行の感想文。

一気に書いとかないとやる気がうせるし、記憶も「日々疎し」になるから。

さて、天気予報通り曇天・ときどき雨になった日曜日、雨降っても影響のないコルマーという町のウンターリンデン美術館に出かけました。

この名称を聞いて、ウンターリンデンってドイツ語じゃないの?とすぐ疑問に思われた方、偉い!

だけど日本人の間ではむしろ、ベルリンの大通りウンター・デン・リンデンの方が馴染みがあるのでは。ここはかの西洋崇拝者森鴎外も歩いたといわれる並木道で、私は読んでないけど「舞姫」にも出てくるらしい。

ウンター・デン・リンデンとは「菩提樹の下(で)」という意味で、この場合の菩提樹は複数。

それでコルマーのウンターリンデンはどういう意味かというと、リンデンはここでも菩提樹の複数形なんだけど、その前のウンターは前置詞でなく形容詞的だから、下の菩提樹?ウーン、よく分からない。

まあいいや、そういう固有名詞です。こだわりドイツ人以外にはそれでよろしいでしょう。

前にも述べた通り、アルザスとドイツ南西部(およびスイス北西部)は長く同じ領主様のもとにあったので、アルザスの地名や歴史記念物の名称のほとんどは今でもゲルマン系です。

ウンターリンデン美術館は、元は13世紀に修道院として建てられたのを19世紀半ばに改装したものらしい。

ここにはもう5回くらい、たいてい日本からの訪問客を連れて訪れているので、ちょっと食傷気味なのですが、実はこの数年間は改装工事で中に入ることができませんでした。

それが今年の一月から再度公開されているので、どんな具合に変わったのか見たくて出かけたというわけです。

内部の展示物はもちろん全て同じですが、修道院の中庭を巡る展示室のレイアウトや、出入り口の場所が変わっていました。もちろん以前よりすっきりときれいになっていたことは言うまでもありません。

この美術館の目玉は、何と言っても祭壇画です。

祭壇画といわれても、日本人にはピンとこないと思うけど、読んで字の如し、教会の祭壇を飾る絵で、ゴシック期からルネッサンスにかけて描かれた欧州名画の多くは祭壇画です。

キリスト教会を飾る絵だから、そのモチーフは当然100%宗教で、よくあるのはマリアの受胎告知、十字架にかけられたキリスト、キリスト降架、嘆きの聖母など。

聖人の伝記に基づくものもよくあって、こうなると、聖人伝など読んだこともない一般のアジア人にはさっぱりわからないことが多い。

面白いことに、十二使徒のみでなくローマ時代や中世の殉教者も聖人なのでその数はやたら多いのですが、彼らを描く上での約束事があって、それが主題の手掛かりになります。

体中に弓矢が刺さっているのは聖セバスチアン、ライオンを前に座しているのは聖ヒエロニムス、車のそばに立っているのは聖カタリナ(車挽きの刑に処せられたので)、などなど、添えられた小道具が聖人を識別するためのヒントになっているのです。

さて、ウンターリンデンの祭壇画ですが、これはもともとコルマーの南方のイーゼンハイムという町の、施療院を兼ねた修道院のために描かれたものだそうで、「イーゼンハイム祭壇画」として知られます。

画家の名はグリューネヴァルト。ドイツのバイエルン州(当時はそんな州はなかったけど)のヴュルツブルクの生まれです。

祭壇画は三面鏡のように折り畳めるようになっていることから、絵は3枚、それが裏表に描かれているので最低6枚の絵になりますが、左右の絵がさらに上下に分かれていることも。

そういう祭壇画が数隻あって、どの絵も超リアルでものすごい迫力なので、私のように気の小さい日本女はその前に1分と立っていることができません。

こういう絵を5分も10分も、さらには腰を下ろして半時間近く眺めているドイツ人やフランス人のタフさ(鈍さ)には、ただもう驚愕です。(スイス人、ベルギー人、イタリア人などもいました。)

こんな物凄い絵を描くエネルギーは、ドイツ人(ゲルマン系)ならではでしょうね。

ドイツの美術は既に15,6世紀の時点でフランスのそれとは大きく異なっていて、今でもそれは変わりません。

しかし、美術といえば誰もがフランスを思うでしょうが、私はドイツの強烈な絵画もかなり(とても、といっていいくらい)好きです。

私が勝手にドイツ四大画家と呼んでいるのはデューラー(1471-1528)、ショーンガウアー(1450-1491)、クラナッハ(1472-1553)、グリューネヴァルト(1470-1528)で、この中でショーンガウアーだけが少し年上(デュ―ラーの父親の友人で、息子を預かることになっていたのにその前に死亡)ですが、あとの3人はほぼ同時期に生まれています。

そしてショーンガウアーだけがコルマーに生まれ、あと全員が南ドイツのバイエルン出身。欧州のこの地域を吹き過ぎた時代の風を思わずにはいられません。

ウンターリンデン美術館は、数はさほどでもないながらこれらの画家の絵も所蔵しています。クラナッハの絵など、到底その前を素通りすることができない素晴らしさです。

ただ、それらはパリ、ニューヨーク、ロンドンなど他の美術館でも見ることができるけれど、グリューネヴァルトの作品のように大きな複数の祭壇画を設置するとなると、この元修道院の美術館ほどふさわしい場所はないでしょう。

同様にこの美術館の建物の古色漂う雰囲気も、ナショナル・ギャラリーやルーブル博物館が真似られる類のものではありません。

・写真1.&2.グリューネヴァルトの祭壇画

・写真3.修道院の回廊と中庭

閲覧数672 カテゴリ日記 コメント6 投稿日時2016/04/01 23:32
公開範囲外部公開
コメント(6)
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  • 2016/04/02 12:07
    母が脳梗塞になる前は上野の美術館や博物館をハシゴしたものでした。
    次項有
  • 2016/04/02 16:19
    鉛筆ベッガさん
    私も80年代には幾度かパリ、ロンドンの美術館をハシゴしました。当時は今ほど観光客がいなくて、どこでもゆっくり静かに鑑賞することができました。

    有名な美術館・博物館を世界中の若い人たちが気楽に訪ねられるようになったのは結構なことですが、私は昔の静かで落ち着いた館内の雰囲気を今も懐かしく思います。
    次項有
  • 2016/04/02 22:18
     いつも好奇心を刺激され、読みながら、検索しまくります。今回は、芥川賞作家平野啓一郎の長篇小説「決壊」で、主人公がかつて訪れた場所として興味深い逸話が語られているそうです。読んでみたいです。;^^
    次項有
  • 2016/04/02 23:09
    鉛筆ベッガさん
    > 南総の寅次郎さん
    平野啓一郎って、外国特にフランスを舞台にした小説をよく書く人ですよね。読んだことないのですが、一度テレビで塩野七生と対談しているのを見聞きしたことがあります。塩野女史が相当彼に傾倒しているような話ぶりでした。
    次項有
  • 2016/04/05 22:55
    西洋の絵画を鑑賞するには体力がいる。同感です。体質的なものですかね。水墨画や日本画に癒されるようになってきたのは、気力の低下のなせるわざ。
    次項有
  • 2016/04/06 00:41
    鉛筆ベッガさん
    > 現場監督さん
    まあ、お久しぶりの現場監督さん。お元気でしたか。

    本当に、実生活でも芸術の面でも、肉食・狩猟人種との差を感じます。

    でも私は若い頃、初めて見た時からデューラーの絵に魅せられ、当時相当無理して神田古書街で画集を買いました。今も好きですから、まだ体力・気力が少しは残っている証拠かも?

    日本画はいいですね。私の夫は東山魁夷の絵の大ファンで、リトグラフを欲しがっていますが叶わず、七宝焼きの風景画がいくつか我が家にかかっています。
    次項有
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