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2016年04月13日(水) 
バードイシュルでの会議が終わってから、亭主どんが週末をヴォルフガング湖畔で過ごしたいというので、金曜日の午後には西のザルツブルク州に戻る形で常宿のホテルに向かった。

タイトルの「ザルツブルク」は従って、モーツアルトの生まれたザルツブルクの町ではなく、ザルツブルク州のことである。

正確にはザルツカマーグートというべきだろう。カマ―グートというのは「御用地」という意味で、名前は知らんが昔このあたりを支配していた王様か貴族の所有地だった。

もしかしたら、バイエルン王国のヴィッテルスバッハ家だったかもしれない。

西のアルザスがフランスとドイツの間を行ったり来たりしたのに似て、東のザルツブルク州やザルツカマーグートもドイツとオーストリアの奪い合いの対象だった。

最終的にザルツブルクがオーストリア領となったのは、1818年のウィーン会議で時のオーストリア帝国の宰相メッテルニヒがそれを主張して譲らなかったためである。メッテルニヒはドイツ西部の出身なので、オーストリアにこびへつらった裏切り者としてドイツではすこぶる評判が悪い。

あ、いけない。政治がらみの話になると、200年前のことでも立腹して健康に良くないからやめよう。

オーストリアの湖水地方ともいえるザルツカマーグートで月曜日まで3泊したいと夫が言ったのは、日曜日が彼の誕生日に当たったためで、付き合いというか世のしがらみもあって昨年の75歳の誕生日は大々的に祝ったが、今年は静かに過ごしたかったからだ。

本人が静かな誕生日を望んでも、この国では朝から「お誕生日おめでとう」の電話が引きも切らず、花やらワインが届けられる。

それで10日には家にいたくないということで、11日に帰宅することにした。

(幸い、私の誕生日を知る人は少ないのと、プレゼントは一切ご免と堂々と宣言しているため私の誕生日は非常に静かだが、夫のそれは多くの人に知られているので煩わしいことこの上ない。)

あいにく亭主は先週水曜日に出かけるとき既に風邪の兆候があって、それが会議中にひどくなり(にもかかわらず夕食会では1時半まで飲み食いして騒ぎさらに悪化した)、湖畔のホテルに着くや否やぐったりと寝込むありさま。

しかし長く寝ていることのできない人なので、土曜日の午前中には遅い朝食を済ませてから湖の対岸のザンクト・ギルゲンという町の土曜市にでかけ、そこの土産物店で工芸品などを買った。

この町はモーツアルトの母親の出身地で、その縁からモーツアルトの姉も結婚後はそこで過ごしたそうだ。

それからちょっとドライブしたが、そのとき先日のブログに書いたアルザスの桜つまりオカメザクラ(多分)とは異なる、ソメイヨシノに似た桜が民家の庭に咲いているのを見た。

このタイプは、南ドイツやオーストリアではとても珍しい。

日本人の私から見ると、これがいわゆる桜である。もっとも厳密にはソメイヨシノではなく、その祖先にあたる種類かもしれないが、咲き誇る花の風情に懐かしさを覚えた。

花の背景が和風の障子に黒っぽい瓦であればパーフェクトなのだが、こちらではもちろんバルコニー。でも別に悪くない。

だけど私がもっと気に入ったのは、桜ではなく梨の花だった。それも民家の壁にぴったりくっついた形で咲いている花。

南ドイツからオーストリアにかけては、家の外壁に果樹や蔓植物を這わせているのをよく見かける。木の枝や茎を支え全体の形を整えるために、壁にはドイツ語でシュパリエと呼ばれる格子や支柱が設けられている。

秋になると、壁一面を覆うように林檎や梨が実をつけ、その眺めがなかなか楽しい。

しかしなぜか春の花の季節にこのシュパリエを見たことはなかったので、今回それを見つけて大喜びで写真を撮った。

さらにザルツブルク州の農家の写真も添付しよう。

この農家はさすがにかなり大きくて平均的とは言えないが、建築様式はこの地方の典型である。

庭のリンゴの木には、まだ全然花が咲いていない。かなり遅めだ。

家がでかいのは、昔は三世代および兄弟の家族までが一緒に暮らしていたから。

いまはせいぜい二世代家族で多くの部屋は不要だから、こういう農家はたいてい民宿を兼ねている。「空き部屋あります」という看板が立っていて、アパートに似た台所付の宿に家族で安く泊まれる。

この家は農業を放棄したわけでなく、酪農業も続けていて、後ろの方は牛舎になっている。そのため、風向きによってはちょっと匂うが、一般に欧州の人達はそういう「自然の匂い」にはびっくりするほど寛容で、牛馬の糞尿の香の漂う庭でゆったりとコーヒーやビールを飲んでいる。

一方で、彼らは「人工的なもの」は匂いも見かけも大嫌い。だから家屋にビニールやプラスチックは一切使わない。欧州のこのあたり(だいたい北緯48度プラスマイナスの地方)でプラスチックといえば、ゴミ容器くらいのものだ。

そういう嗜好と頑固さが景観維持に大きな役割を演じている。

閲覧数944 カテゴリ日記 コメント16 投稿日時2016/04/13 20:16
公開範囲外部公開
コメント(16)
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  • 2016/04/14 00:16
    ドイツの方が100均の店に行ったら驚くでしょうね。
    若い人でもプラスチック製品を好まないのでしょうか?
    学校でも教育しているのかしら。

    貝の標本は自然の素材にふれると(紙、木、綿 等)艶がなくなってしまいます。少し後ろめたさを感じながら標本を作っています。

    使い捨てのプラスチックの透明コップはのみものに化学物質が溶け出すそうです。お花見は紙コップで。
    次項有
  • 2016/04/14 01:24
    鉛筆ベッガさん
    > くちべにがいさん
    貝の標本ですか。海のないオーストリアやスイスの人が見たら、羨ましがるでしょうね。(このあたりは太古には海底だったので、考古学的な意義のある貝が発見されることはありますが。)

    若い人はやはり、夫の世代などに比べると自然の材料にはさほどこだわりませんが、彼らも年齢を重ねれば変わっていくと思います。

    夫の世代といえば、湖畔の散歩道に写真のような手作りの記念碑がありました。1941年生まれ、1997年没とありますから、55歳か56歳で、湖での事故か何かで亡くなったのでしょう。

    写真がついていますが、故人が愛したと思われる湖の景色の絵があって(彼自身が描いたものかもしれません)、下には水仙が植わっていました。こういう形で亡くなった人への哀悼を示す住民の心根に感銘を受けました。
    次項有
  • 2016/04/14 08:31
    > ベッガさん

     写真、味があって、かつ、景観に溶け込んでいるような気がします。日本では、よく、道路際に瓶や缶にさした花が飾られ、飲料ペットボトルが供えられています。趣旨は分かるのですが、哀悼の気持ちを表すなら、もう一工夫欲しいですね。;^^
    次項有
  • 2016/04/14 23:03
    鉛筆ベッガさん
    > 南総の寅次郎さん
    同感です。こちらの人にとっては缶やペットボトルはゴミであり、自然の中の「異物」ですから、そういうものを故人のために使うことはしません。

    ただ、日本人は一工夫できない国民ではなく、またいい加減でもないので、なぜ本気でちゃんとしたことをしないのか、不思議です。

    例えば、日本でものを買った時のきれいな包装などは、芸術的といわれるほどです。それにゴミも少ないですしね。

    スイス・ドイツ・オーストリアは几帳面な国民性で知られますが。ドイツの場合、南と北では大きな差があり、経済力も学力も生産性も、平均寿命さえも北は南よりかなり下で、犯罪が多く、駅や通りやアウトバーンはごみだらけです。
    次項有
  • 2016/04/14 17:50
    > 南総の寅次郎さん

    実家の近くに何の変哲もないブロック塀がありました。つづけて3人くらいその壁にぶつかって最後にバイクでわたしと同学年の男の子がその壁に当たって亡くなりました。お花や飲み物やら家の前に置かれたその家の人はさすがにたまらなくなったそうです。塀を作り変えてから事故は起きません。人を引き寄せる何かがあったのでしょうか?


    郊外の湖の慰霊モニュメントは趣があります。

    近年の東京近郊の鉄道への飛び込み。慰霊碑を作れば少しは減るかもしれません。
    次項有
  • 2016/04/14 23:10
    鉛筆ベッガさん
    > くちべにがいさん
    それ、いい案かもしれません。こちらの自動車道路では、十字架の碑と供えた花を道端に見かけますが、アウトバーンでは大きな選挙の看板みたいなのが立っていて、その場所で亡くなった一家の写真などが張られているので、ぎくりとします。

    関係者の許可を得て写真を使っているのでしょうが、ショックが大きいので賛否両論あるらしく、1年のある時期に交通安全キャンペーンとして実施しているようです。
    次項有
  • 2016/04/13 21:56
    景観に対する考え方が徹底しているのですね。プラスチックでは品格が欠ける。(でも便利ということでついつい妥協してます)
    次項有
  • 2016/04/14 01:10
    鉛筆ベッガさん
    > 現場監督さん
    確かに天然材料で作った家は、古びても壊れても品格があります。景色に溶け込むのですね。

    写真の家には、60歳くらいの女性が一人で住んでいるのですが(道が狭いのでここから1キロくらい離れたところに駐車しています)、自分でできる手入れや修理は限られているようで、こけら葺きの外壁も色あせています。

    でも窓やドアに趣味のよい飾りをつるし、漏れてくるランプの光も素敵です。

    腐っても鯛、というと叱られるかもしれませんが。
    次項有
  • 2016/04/14 17:52
    > ベッガさん
    荒れた家に見えないのが不思議です。
    次項有
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