今年に入って後のここ数か月は、難民騒動、移民によるケルンの婦女子襲撃事件、州議会選挙、新右翼の台頭と何かと騒々しく、その第一四半期の締めくくりが何とブリュッセルの同時テロ。
これからは欧州のどの国も、何処に潜んでいるかわからないテロリストとともに暮らしていくことになるだろうと、昨日のこと辛口評論家が発言していました。
これ、否定できない事実だと思うのに、周囲の他の評論家や司会者は彼のことをにらみつけ、闘いを諦めてはならない、なーんてありきたりのことを。
国家間の戦争や地方紛争とも異質の、こういう正体の知れないファナティックな個々の敵を相手にした戦いに、人々はどう処していけばいいのか。
テレビでは政治家や知識人が、「大きな衝撃を受けた」「言葉もない」に続いて「連帯」と「(テロリストへの)断固たる姿勢」を繰り返しています。
2001年9月11日以来、もう何度同じ言葉を聞かされたことでしょう。繰り返されるそれらの言葉が、言葉のむなしさを証明しています。
こんな時にクリエイティブな表現を求めるのも何ですが、いつも偉そうにしている政治家のオッサンやオバハン、もうちっと新鮮味のあることを言ったらどうだ、とイラつきます。
今彼らの頭を占めているのは、実際には犠牲者への同情よりも、これで新右翼や極右の勢力に弾みがついたらどうしよう、という懸念。
それで、キリスト教民主同盟の元議員が「今の欧州の分裂状態を引き起こしたのはメルケルだ」と発言したとか、新参党のAfDが「それ見たことか」と言ったとかで、新聞もテレビも彼らの言動を「非人道的で下品」と攻撃し続けています。
下品って・・・自分たちにも責任がある事態に何ら効果的な対策も講じず、呪文のように「連帯」を繰り返している政治家やマスコミの方がよっぽど下品だと思うけど。
聞き飽きた決まり文句の代わりに「私たちは無能集団です。この失態、まことに申し訳ありません」と国民に謝罪してほしい。
と、こう毎日怒っていては身が持たないのですが、よくしたもので欧州キリスト教国は明日からしばしの休暇に入ります。復活祭、いわゆるイースターです。
その時期と内容からして、キリスト教の行事の中ではこの復活祭が私は一番好き。「イースターの小さな鐘」と呼ばれる黄水仙が咲いて、木の芽が吹いて、鳥が歌って。
クリスマス・デコレーションほどではないながら、わが家でも卵(再生・蘇りを意味する)、ウサギ(多産のシンボル)、小鳥(卵を産む)などを飾ります。
これらの飾りは一部既にかちねっと時代にお目にかけていますが、ひょこむで新しいトモダチも得たので、改めて写真をアップしました。
最初のは、ドイツ東部のスラブ民族のコミュニティで作られた卵の飾りです。彼らは「ゾルブ人」と呼ばれ、ドイツ人同様にドイツの学校に通ってドイツ企業で働いていますが、コミュニティ内では独自のスラブ系の言葉を話し、お祭りには独特の民族衣装を着ます。
少数民族として差別されることは、全くありません。だって、このゾルブ人が住むザクセン州の知事は、スタニスラフという名前からも分かるようにゾルブ人なのです。
もう10年以上も前のこと、初めて行ったドレスデンでこの卵を見つけ、嬉しくてあるだけ買いましたが、5個しかなかったのでその後ずっと探していました。
ゾルブ人は商業ベースでは作っていないのか、なかなか見つからなかったのですが、3年前にポーランドとの国境のそばの町に旅した際に、ある食料品店でついでのように売っているのを見つけ、その時もありったけ買いました。
籠(日本製)に入っているのは、その一部です。配色と模様が気に入っています。
二番目の写真はアルザスで買った卵(大)とマイセンの磁器の卵(小)です。花瓶や食器で知られるマイセンの町もザクセン州にあります。
アルザスで卵を買ったのは昨年の夏で、小さな町の公民館のようなところで絵の展示会があり女性画家が実演している中に、卵にこんな絵を描いている人がいました。ちょっと日本的な感じが好ましくて、すぐに買ってしまいました。
飾るために卵の巣を作るのが面倒なので、そこらで拾ってきた小枝を代わりに使っています。いい加減です。
もう一つは、青空市で農家の小父さんが売っていた木の枝のリースに蔦を絡ませ、真ん中に鳥の巣と卵を置いたもの。
鳥の巣は本物で、亭主どんが散歩で拾ってきました。中に入っているのはチョコレートです。本当はウズラの卵を入れたかったのですが、こちらでは滅多に売ってないので窮余の策として。
こんな具合に飾りつけをしていると、甲斐性無しの欧州の政治家や口から出まかせジャーナリストのことを忘れます。
さて、明日からの5連休には、またまたアルザスに出かけます。アルザスのそこかしこの村に知り合いができて、行くのが楽しみになりました。