金曜日からアルザスの村で4泊しました。わが家からは山間の道や野道を通って1時間15分なので、楽に日帰りできる距離ですが、ラインの向こう側となると、近くてもやっぱり外国の雰囲気があります。 そもそもこのあたり一帯は「民族の大移動」で1700年前から同じ種族が住み着いた土地なので、住民は遺伝子的にも似かよっている上に、のちにはラインのどちらの側も数百年にわたって神聖ローマ帝国の一部だったため、文化的遺産にも共通性があるのは当然。 太陽王ルイ14世(17世紀)の治世にフランスの領土となり、相当にフランス化されていたのをビスマルクの時代(19世紀)にドイツ領に戻して、それを第一大戦でドイツはもう一度失って(1918年)、ヒットラーがまた取り戻し(1940年)、第二次世界大戦でドイツが敗戦国となって(1945年)からは、アルザスはロレーヌとともにまたフランス領となり。 今となってはアルザスも、経済に関する限りはフランスよりドイツ領でいた方が、より豊かに暮らせたかもしれません。 ミッテラン大統領の時代に週35時間労働制度の導入が段階的に始まり(1981年)、それが2000年に法律として固定してからは、外国企業は競ってアルザスから逃げ出してしまって。 むろん新たな投資もなく、それでもアルザスの失業率がフランスではパリに次いで二番目に低いのは、アルザスの労働人口の30%がライン川を越えてドイツ側で働いているからです。 まあ、ややっこしい話はこの際さておき。車で1時間ちょっと走れば外国、というのも悪くありません。 家屋や街並みはやはりドイツと違ってカラフルで可愛らしさがあり(その代わりドイツほどきちんとしてはいないけど)、楽しい気分になれます。 特に近年は、ドイツで働く人が増えただけでなく、ドイツからの観光客でワイン街道の店や宿も支えられているので、ちゃんと商売している人達はみんなドイツ語が話せます。 休暇中、お天気にはあまり恵まれなかったけど、土曜日はおおむね陽が射していたし、日曜日はコルマーという町の有名な美術館が改装されてのち初めて見に行ったり、馴染みの古書店を訪ねたりで、お天気には左右されなかったのでノープロブレム。 さてさて、アルザスも今が桜の季節です。 ところがこちらの桜は、どうも日本のそれとは違うのですね。 それをみんな「日本のサクラ」と呼ぶんだけど。 まず、木があまり大きくない。花も小さい。色が濃い。木の幹があまり桜っぽくない。 「日本のサクラ」じゃない桜は、欧州ではどうも実ザクラ、サクランボのなる桜の木を指すらしい。 濃いピンクで小さめでも、なかなかきれいなんですが、満開の桜のあの泡立つようなダイナミズムはありません。花の下でお重を広げて酒飲む雰囲気でもない。 さて、帰宅してかちねっと以来親しいIさんのブログを読んでいたら、葛飾区の彼の家の近くでもうすぐ152本の桜が咲くとのニュース。 ソメイヨシノですか、と尋ねると、標識には「サトザクラ」と書かれているという返事をもらいました。 サトザクラって、ヤマザクラが山で咲くのと対照的に、人里で咲く桜って意味じゃないかしら。だとすれば、特定の桜の種類じゃないと思うけどなあ。 などと考えて、この際ちょいと調べてみたところ、サトザクラというのはヤマザクラ、カスミザクラ、エドヒガンザクラなどを掛け合わせてできたサクラだと判明しました。 ソメイヨシノは接ぎ木でしか増やせない点もサトザクラと違う、とIさんはいうのですが、だとすればサトザクラは実生が可能ということ? おかげでいろんな種類のサクラの名が分かったので、ネットでそれぞれの特徴を調べてみると、アルザスの「日本のサクラ」に一番近いのは「オカメザクラ」でした。これはマメザクラとカンヒザクラ(寒緋桜)の交配種らしい。 フランスにオカメザクラねえ。 そう言えば、2週間ほど前に仏紙「ル・フィガロ」に在パリの日本人たちが、例のテロ以来すっかり観光不振に陥ったこの花の都を賑わそうと、桜の花を植える運動を始めたというニュースが出ていました。 かつて東京市長の尾崎氏がワシントンに贈った桜が、今は例年ポトマック川のほとりで咲き誇る、という話も紹介して、パリにも桜を、というのですが、さてそれはどんな桜でしょう。 ワシントンと同じソメイヨシノ?アルザスと同じオカメザクラ? ・桜の写真のほかに、アルザスの地図を添付しました。真ん中の青い筋がライン川。その左側がフランスで、右側がドイツ。 アルザスは上ラインと下ラインに分かれ、上ラインの最大の町がコルマー、下流の最大都市はストラスブールです。 ドイツもフランスも川沿いの平地の後ろは丘陵地で、その斜面はほとんどが葡萄畑になっています。 ついでながら、私が住んでいる村は、この地図の右の枠線上の真ん中あたり、緯度は48.14度、経度は8.24度です。(写真をクリックすると緯度・経度が出ます。) |