1,321万kW/2,352万kW (07/25 01:40)
56%
■バックナンバー
■カテゴリ
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://hyocom.jp/blog/blog.php?key=304783
2020年01月04日(土) 

街道をゆく 須田剋太 挿絵

http://www.enokojima-art.jp/i-museum/suda/gallery01…html 

 


 

陸奥のみち(青森県・岩手県)

http://www.enokojima-art.jp/i-museum/suda/gallery/i…x.php?n=41

 

陸奥のみち

奥州について

陸中の海

華麗ななぞ

南部

安藤昌益のこと

穀神の文化

高山彦九郎の旅

 

「この弥生式水田農法が西日本でテストされ、多数の人口を養う上であまりにも素晴らしいものであったために、日本人は歴史的にコメに甘え、この農業を中心とした社会と宗教とモラルを作り、それを水田耕作には不敵地の東北にまで及ぼした。工業が興れば工業に殺到して工業に甘えるというふうの、国土経営に冷厳な感覚と能力を持たない民族的性格が出来上がったのは、この民族を二千年にわたって養ってきてくれた弥生式水田農法が、あまりにも素晴らしすぎたことによるといえるかも知れない。南部では、この甘えに復讐された。今は工業への甘えに復讐されているというのは、モトは同じということの繰り返しであるように思われる。」(ワイド版p72、73)

 

今は金融工学に復讐されつつある。D.E.

 

久慈

鮫の宿

野辺地湾

 津軽と南部の藩境 | まるごと青森

 


 

肥薩のみち(熊本県・鹿児島県)

http://www.enokojima-art.jp/i-museum/suda/gallery/i…x.php?n=37

 

肥薩のみち

阿蘇と桜島

田原坂 

 

「西郷は城山で自刃し、その時をもって薩摩国は戦国以来の独立勢力としての恐るべき歴史を失うにいたるのだが、失ったのは、或いはそれだけではないかも知れない。当時、日本中に充満していた反政府気分や野党敵勢力(国粋主義や自由民権主義)はことごとく西郷とその麾下一万数千の薩摩人の決起と成功に熱狂的な期待を寄せた。それが西郷とその麾下の意外な敗北によって一挙に拠り所を失い、その敗北は日本国に史上類がないほどに強力な官憲政府を成立させることになった。あるいは西郷の敗北は単に田原坂にとどまらず、今日に至るまで日本の政治に健康で強力な批判勢力を成立せしめない原因を成しているのではないかとさえ思えるのだが、或いはそうではなく、律令時代も、さらには徳川体制下においてさえ無言の批判勢力でありつづけた薩摩という独立圏が明治政府という中央集権権力の出現によって、ついに消滅せざるを得なくなった、ただそれだけのことであるとも思えるのである。

いずれにせよ、日本の政治史にとって西郷とこの事変は永遠の謎であり続けるに違いない。」(p127、128)

 

八代の夕映え

人吉の盆地

桃山の楼門

 

「(天智天皇、豊臣秀吉に続いて、外征に乗り出した)三番目は太平洋戦争である。この英雄的膨張期にも右の二例と共通した暗い定則が支配している。つまり、支配者群がことごとく庸人であったこと、堅牢な世界政略を持たなかったこと、そして自然、戦略といえるほどのものをついに開発しえなかったこと、などの点において共通している。要するに日本歴史というものは国内統一をする場合に英雄が出る。源頼朝とか織田信長、前記の豊臣秀吉、そして徳川家康、あるいは倒幕革命政略における西郷隆盛といったような、他の国の歴史に類型の少ない人物が出るが、この民族の歴史にまれにあらわれる海外への膨張機運の起こる時期には、その時期の好戦的指導者は、必ず凡庸なお調子者に過ぎなかったという実に不思議な法則を持っている。戦後の日本の社会科教科書はヒトラーやムッソリーニを呪い嘲るが、しかし、ヒトラーやムッソリーニすら持たずに、それとソックリ似た真似をした昭和前期の日本というものの不思議さを解明した教科書があるだろうか。

日本史における、この海外膨張が堅牢な世界政略を持たず、むしろ村の祭礼に似て、神輿を担いだ若衆が勢いのあまり隣村に踏み込んで吠え散らかしているのと本質において少しも違いがなかった」(p153、154)

 

久七峠

隠れ門徒

馬場の洋館

 

 曽木の滝に立ち寄って

「ところが行ってみると、まだ滝へ辿り着く前に、何軒もの けばけばしい大衆食堂や土産物売の店が建っていて、芝生にコーラのビンが転がり、拡声器で流行歌が鳴っているという感じの自然になっていた。金をかけた自然ではなく、逆に金を儲けようという自然で、日本中どこへ行ってもある観光地風景になっている。

瀑布は壮観であった。これだけの景観を新建材の食堂や拡声器で壊してしまうのが惜しいような気もするが、しかし明治政府以来の体質でもって、国土や風土を大事にするという理想を我々が一度も持ったことがなく、今更大久保(利通)と(勝)海舟の話を思い出したりしても追っつかぬといったふうの絶望の思いもある。」(p182、183)

 

苗代川 

薩摩びとについて

隼人

サムライ会社蒲生士族共有社

龍ヶ城竜ケ城磨崖梵字 | 姶良市観光協会)

 


 

河内みち(大阪府)

http://www.enokojima-art.jp/i-museum/suda/gallery/i…ex.php?n=9

 

河内みち

若江村付近

 [だんじり動画館]東大阪市 若江鏡神社 宮入り

     https://www.youtube.com/watch?v=T9ZjrkBfr38&fea…=emb_title

 

平石峠

香華の山(高貴寺

弘川寺西行入滅の寺)

蝉の宿

PL教団

自衛の村(大ケ塚寺内町

牢人と役者たち

 


 

マップは司馬遼太郎記念館

 若江の近く。司馬遼太郎は「隣村」と呼んでる。


閲覧数215 カテゴリ街道をゆく コメント0 投稿日時2020/01/04 21:27
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
Double Eagle @kachinetさん
[一言]
初めまして。かちねっと(葛飾地域づくりネットワーク)から引っ越して…
■この日はどんな日
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み