いつもながらの科学の御講義、ためになります。
水中カメラで撮った映像が青緑一色なのも納得がいきました。
緑が光りの廃棄物だと書いたところいろいろな方からのコメントも頂戴した。 陸上の光はそれほど減弱しないがそれでも距離の2乗に反比例する。 宇宙空間ではほとんど減弱しないだろう。月探索衛星かぐやの写真をみれば明らかだ。 原罪の我々の生物は地球の海水中から生まれ、進化論的に変化してきたことになっている これを否定しようとすると、神の存在や宇宙からの飛来説と対峙しないとならないからそこのところは避けるが、まあ、海水の塩分濃度などもそんなに大きな変化は無いとすれば すべての波長を含む太陽光線の中で、海水中の深さでいえばほぼ10mで赤色光は消失減弱する。この深さは赤色光をもっとも有効に利用する植物の深さの限界でもあります。 さらに残りの光は20mになると紫色が消失する。40mになると黄色が無くなる。 そして、最後が緑色なのだが、80mあたりでこれも消失する。 まず、この地球上で反映しようと思ったら、植物は実は緑の光を利用した方が生活圏を 拡大できることになる。 ここで、生物を神が作りたもうたとすれば、なんで緑は有効に使われなかったのか。 宇宙飛来説では、飛来した星もやはり海は緑をあまり吸収しなかったのだろうか。 このことを書いているのは実は眼が出来るのに、まずは光が必要だった。それは光合成のためでもありますが、光合成に都合の良い光すなわち赤色系の当たる場所を見つけることが眼の最大の目的であったのでしょう。 そして、その眼が発達してゆく課程にはあらゆる色を感ずるようにはなりましょう。それはまた別の目的でもあるのです。 そして、海水中の生物が陸上に上がっても植物は依然として緑の光は必要としていません。ガラガラヘビは赤外線を探知することが知られています。コウモリは超音波で獲物を捕らえます。なんで、こんな面倒な進化をしなければならなかったのでしょうか。 昆虫も擬態といって、木の葉に色を似せたり、形を似せたりして捕食を免れています。 「落ち葉をかくすには林の中に隠せ」といいます。大切なものはゴミ置き場に置いておけというのと同じで、緑は生物のゴミみたいなものです。 特に動物は緑の中に餌が隠れていたり、敵が潜んでいたりもします。空の青や海の青を細かく見分ける必要性は森の緑の中のこまかなものごとを見分ける必要性に比べると格段と低い物かも知れません。そうであれば、緑は動物にとって、休息の色ではなく、もっとも注意深く見ないとならない色ということになります。 ただ、私たちの生物の活動は遺伝子で作られるタンパク質が糖質と結びついて、複雑な立体構造をしております。この立体構造がどう変わるかで生理的な反応も変わるのですから赤の光一光子の赤が当たったときにはこの構造が変わるのに、緑の光の時には反応しないということもありましょう。 そして、その構造がかわると小さな穴が開いて、Naイオンが出入りしたり、Kイオンが 移動したりして、電位を生じて、生命活動を行っているとすれば、緑の光は何にもしていないのだろうか。 それとも、ただのぬるま湯に浸かっているようなものなのか。そうだとしたら、緑を見ていると眼が温泉に入る程度の効果があるのか。 |