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2007年09月21日(金) 
お茶の話 第八話
中国にお茶が発達したのは、中国では生の水が細菌などの危険が多く呑まないで、開水(カイスイ)と呼ばれる湯冷ましを呑んでいたこともありましょう。
同じ湯にしてから呑むのなら、お茶を入れた方が美味しいのはいうまでもありません。しかし、日本は生の水でも平気ですし、井戸水なんかは各家庭にも有ったくらいですし水道水も今でも生で飲みます。
日本のお茶も優秀なお茶が出来るようになってきています。そして、地方地方によってその地方の気候や土壌に合ったお茶が作られています。
茶の湯は戦国時代からあったわけですから、さぞ、お茶については日本も技術が凄いものがあったように思われがちですが、いわゆる輸出用のお茶としては急ごしらえのものでしかありませんでした。
明治政府が外貨獲得のために奨励したのです。明治八年(1875年)にはメルボルンで開かれたビクトリア植民地博にお茶を出展します。ここでは好評でした。中国茶と値段では十分競争出来たのです。その後、インドの紅茶が競争相手となると基盤の弱い日本は苦しくなります。
1882年には日本の商社がお茶に不良品を混ぜる事件が起きます。値段の競争で苦しくなり、今の中国の食品のように日本茶の評判を落とし、大変なダメ-ジを受けるのです。
明治15年にはアメリカで不正茶輸入禁止条例が発令されたくらいです。
徳川家や大名そして豪商達の間では十分だったお茶も紅茶として世界に出ると価格面でも品質の面でも太刀打ちできなかったのです。
もはや、茶人の小手先の技や理屈では通用しない世界的な嗜好の波に呑まれてゆきます。
一部のお茶愛好家の求めるお茶ではなく、世界中の人々の口に合い、賞賛されるお茶こそが、本当のお茶なのでありましょう。
私は中国では厦門や福州などで中国の古来の礼法にかなったお茶のサ-ビスを受けたことがあります。この時は、中国もその作法がマンダリン(高級官僚)に提供する様式でありました。

閲覧数850 カテゴリオメメの玉手箱 コメント0 投稿日時2007/09/21 10:30
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