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2007年08月04日(土) 
私は国粋主義者でもないし、昔の軍国時代の犠牲者といっても
よい幼少時を過ごしました。ですから、かっての日本軍の行動
を賛美するものではありません。しかし、日本叩きの一環とし
て今頃になって米議会で従軍慰安婦の問題で日本政府が謝罪す
べきだなどとの要求が出されたりしています。
確かに強制的に慰安婦にされた女性がいたとしたらお気の毒で
す。でも、私も見たことがありますし、その心情も分かるので
すが、米軍が進駐してきたときに、日本の女性が米兵に寄り添
って、物資を貰っていたのをです。
その頃には甘いチョコレ-トなんか食べることも出来なかった
子供の私はその手の小母さんからもらったチョコレ-トの美味
しさに、その小母さんが米兵とくっついているのを無理なない
と思いました。
つまり、お金に転ぶ女性のしたたかさを見抜いてもいました。
だから、慰安婦問題もそのような女性がいたかも知れないとの
思いはあったのです。
ところが、以前にも騒がれた、「レイプ・オブ・南京」の映画化
がされて、中国でも配給されたそうです。
アカデミ-賞を二回も受賞したビル・グッテンタグ監督の手に
なるものだそうです。
当然中国では大反響かと思いきや、週刊新潮によれば北京の映
画館(上映しているところが少なくここくらいだそうだ)では観
客はたったの11人だったそうです。
現地でもこの不入りは記録ものらしいのです。
南京での虐殺が本当にあったのかを知りたくて南京にいってき
たことがあります。
比較するのに、原子爆弾の被害を参考にしますと、爆心地から
1.2キロメートルでは、その日のうちにほぼ50%が死亡し、
それよりも爆心地に近い地域では80~100%と推定されて
いて、即死あるいは即日死をまぬがれた人でも、近距離で被爆
し、傷害の重い人ほど、その後の死亡率が高かったとあります。
そして、当時は広島には35万人がおり、原爆による死者は
14万人と計算されているようです。
そこで、果たして南京で本当に30万人もの虐殺があったのか
それを知りたくて、南京に行ったことがあります。
読み直してみると、虐殺のことだけではなく、蘊蓄の詰まった
読み物になっております。何回かに分けてお届けします。

『題名』呉越と南京の旅1
今回の旅行は南京、蘇州、紹興の三都市を巡ることにしている。
その理由はこの旅行記の中で追々述べて参ります。
旅行に出る前に偶然にフランス料理の名著とされるブリア・サ
ヴァランの「美味礼賛」を古本屋で見付ける事が出来た。
彼は1755年フランス第二の都市リヨンのそばで生まれて弁
護士として働きやがては民事裁判所長などを歴任したが、フラ
ンスの王朝が倒れると過激派達から王党と見なされて米国にま
で亡命する。
やがて、ナポレオンがエジプトから戻ると前に勤務した大審院
に復職し、高級官僚として食事や科学、音楽、語学にまで幅広
い知識を集大成して原題名「味覚の生理学」を著し、フランス
料理に関しては世界的な名著とされている。
語学的にも独特の感性を持っていて、グルメと女性のコケット
リ-と言うフランス語は決して他国語に翻訳しないで欲しいと
述べている。
確かに、現在でもこの二つの言葉に対する名訳は思い浮かばな
い。
これが手に入ったからにはぜひ袁枚の「随園食単」を読んでお
きたいと思った。
しかし、もはやブックサ-ビス等でも絶版となっていて、手を
尽くしたが見つからなかった。やむを得ず図書館で検索して貰
ったところ県立図書館に中国語のものと訳本があることが分か
った。
貴重な本になってしまっているので通読した上で必要と思われ
る所はコピ-した。借り受けた本が紛失したり破損したりさせ
ては申し訳ないのでコピ-の是非はともかくこれで何時でも引
用出来ることとなった。
袁枚は1715年杭州で生まれている。二十四才で科挙の廷試
(地方の郷試に合格して北京の紫禁城にある保和殿での試験)
に及第して進士となった。
その後、地方長官などを歴任したが、やがて南京にあった随氏
の別荘を買い取って随園と名付け、庭では野菜など栽培し、文
筆生活を始めた。
彼はここでの出来事や、料理について「随園記」として二十年
間に六篇書いている。
ちょっと紹介しておくと、下記のような戒めを載せている。
戒単(戒めなければならない事柄)
一.戒外加油(あとから油を加えてはいけない)
二.戒同鍋熱(同じ鍋で料理してはいけない)
三.戒耳餐 (耳に聞こえる高価なもの好みはいけない)
四.戒目食 (料理数が多すぎてもいけない)
五.戒穿鑿 (小細工してはいけない)
六.戒停頓 (間をおいてはならない)
このように続々と料理を作るときの心得を書いています。
中国の旅行には食べ物の楽しみもあります。世界の二大料理に多
少なりとも蘊蓄を加えることが出来れば旅行記に花を添えること
が出来るのではと思ったからです。
12月30日神戸からKキャットで関空に向かった。海上はおだ
やかでわずかに白波を認めるだけだった。
出発二時間前に航空券をボ-デングカ-ドに変えるともう後は暇
になる。
今年は不景気のせいか空港は心持ちガランとした感じだ。
出国審査が残っているとはいえ二時間はもてあます。
食堂街をうろついて軽く食事とビ-ルなどをと思っていたが、
今更未練がましく日本食でもあるまいし、かと言って中国料理
にこれからどっぷり浸るのだから中華でもあるまい。
フランス料理を楽しむには時間が足りない。ある店の前のショ
-ウインドウにフランス風のものがあった。小手試しにとそれを
頼んでビ-ルも注文した。
料理はクロケット・ドウ・ポンム・ド・テ-ルとブルイエの盛り
合わせだった。
こんな風にフランス語で料理名を言うとなにか高級な料理を注文
している様に思われる方がいられるかもしれませんが、な-に、
ポンム・ド・テ-ルとは地面の林檎という意味だからつまりジャ
ガイモのことなんです。そう、クロケットはコロッケだから何の
ことはないジャガイモのコロッケです。
ブルイエだってレ・ゾムレットつまりオムレツと言ったら分かる
でしょうけど少し違ってバタ-でかき卵にしたものです。
ある英国人がクロケットはラ-ドで揚げたものに限るといってい
ましたけれどここのは植物油でした。はたして中国にはコロッケ
はあるのだろうか。あるとすればなんと呼ばれるのだろう。
ジャガイモは馬鈴薯または山洋薯と言うからこれに関した名前が
付いてくるのではないだろうか。
オムレツの様に形良くまとめ上げてないが、ブルイエと同じ物は
中国にあります。
ただし名前は分からないのです。中国のは中華鍋に油を煙が出る
まで熱し、そこに溶いた卵に擦りおろしたニンニクを混ぜて、一
気に鍋に入れさっと掻きませたら後は余熱で固まります。
これは旨いです名前を付けるとしたらニンニクが大蒜ですから擦
りおろしたものは泥蒜で卵料理は芙蓉(卵白のみを使ったもの)
とか桂花といいますので泥蒜桂花となりますか。
漢字が多少とも同じせいもあって、今回の旅行でも料理名でコロ
リと騙されました。その話は後にして、ニンニク入りかき卵があ
まり上品に感じられないとおっしゃる方にはオ-・モリ-ユとい
うフランス料理があります。ラ・ル-スのフランス料理辞典では
ニンニクとパセリを混ぜるとあるんです。
多分、バタ-でしょうけど、ラ-ドとの対決どちらが旨いでしょ
うかね。
そんなこんなしている内に出国審査の時間になりました。
日本も中国もそして他の外国もそうなんでしょうけど、審査が早
いところと遅いところがあります。審査官の能力なんでしょうか、
それとも仕事内容がいいかげんなんでしょうか。わたしの並んで
いるところは別の場所よりいくらか早い様でした。
そちらが私を審査するのなら私は審査官の方を審査してやろうと
注意深く観察したのですが、彼が優秀なために審査が早いのか、
それとも手を抜いているのか見極めることは出来ませんでした。
出国の時は早かったけれど、入国の時は普通でした。入国に厳し
いのは日本の安全には必要なことでしょう。
一応納得することにしました。

閲覧数2,993 カテゴリオメメの教養講座 コメント4 投稿日時2007/08/04 15:47
公開範囲外部公開
コメント(4)
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  • 2007/08/04 17:02
    南京大虐殺があったのか、なかったのかについては、当時従軍されていた方々から真実を聞くよりほかはないと思います。
    確かに30万人も虐殺するというのは事実ではないかもしれません。誇張された部分もあるでしょう。
    しかし、そうだからといって日本軍が行ったといわれる虐殺行為がなかったとは言い切れないと思います。
    ほんのちょっと前の歴史ですから調べればわかるはずです。
    今回のアメリカ議会の反応は過剰なものだと思いますが、日本としてもちゃんと調べて謝罪するべき部分は謝罪するそのかわり追及する部分は追及追及してほしいものです。
    オメメさんがご指摘されている「原爆」です。
    あれは間違いなく「大量殺戮兵器」です。
    それを使用した(しかも2回も)アメリカの責任についてはしっかり日本政府として追及しなければいけません。
    敗戦国であっても、人間の尊厳まで敗れたわけではないでしょう。
    次項有
  • 2007/08/04 21:33
    鉛筆オメメさん
    原爆についてもご指摘のように思いますが、なにより、戦争にいたたっ経過のところに問題がありましょう。戦争さえかったらどちらも起こり得なかったでしょうし、すべての元はそこにあるとおもいます。
    次項有
  • 2007/08/05 10:06
    私が興味あるのは、なぜ太平洋戦争に突入したかです。
    いろいろな理由が考えられます。
    覇権主義が横行する中で、中国での既得権益を守るためということも考えられるでしょう。
    そのあたりはオメメさんはどのようにお考えでしょうか。
    次項有
  • 2007/08/05 15:22
    鉛筆オメメさん
    色々なみかたがあるでしょうが、植民地にならなかった幸運と、出遅れた列強と恵那時植民地を欲しくなったからではないでしょうか。
    次項有
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