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2008年09月01日(月) 
「サボる」という言い方がある。これの語源はと聞くと大概の人はフランス語の「サボタ-ジュ」からでしょうと答えるから割と語源が知られている方だろう。
でも、それでは「サボ」ってなんのことか分かるかと聞くとほとんど知らない。
サボっていうのは木靴の事なんです。というとなんでなんでと、意外性があるから喜んで貰える。
工場の木靴を履いていた労働者たちが不満があると木靴を踏み鳴らして抗議したことから来ているんです。
板前さんが調理場で下駄を履いているけど、料理の手を抜くことを「ゲタる」とはいわない。でも下駄を踏みならしていると何となく心情が分かるところがある。
でも、韓国のソウルにある民族村で売っていた木靴には下駄の歯のように木靴に歯があった。もしも、これを踏みならしたりしたのが語源だったら、下駄は韓国語でナマクシンだから「怠ける」で合ってる。
私の家の門の内側には秦の始皇帝の兵馬俑の兵士のレプリカが置いてあります。
弩を持って片膝ついた兵士の像です。1/2の大きさとはいっても実物が2m近い大男のものですからかなりの大きさになります。
娘と西安に旅行したときに購入したものです。
道路に向かっておくと、子供達が怖がるので内側に向けて置いてあります。
このレプリカは精巧に出来ています。ひざを付いた兵士の足の裏を見ることができるのです。
その足には足袋の様なものをはいています、そして、その足袋の裏にはミシンで縫ったような横筋が何本も彫られています。
つまり、履き物に滑り止めの工夫がなされてるのです。
紀元前300年ほどの時期のものですから、その頃の最強の兵士が使っていた履き物でしょう。
ロ-マ時代でも映画などの時代考証では兵士は皮のサンダルのようなものをはいていています。
人類がいつから履き物をはくようになったかなんて大変なテ-マでお話しようとしているのではありません。
でも、日本の発明ではないかと思われる下駄についてならなんとか調べられそうです。
中国にも下駄は見あたりませんし、知人の中国人も知らないといっています。
韓国へ旅行したときに韓国の民族村が観光地になっていて、そこには古い韓国の民具などが売られていました。
そこで売られていたのは木靴でした。小さなサイズのものを買ってきましたが、この木靴はオランダのものと同じようなものでした。
いずれの国でも下駄は見つからないのです。
日本人の発明だとすれば物まね国家との汚名を晴らす良い例ともなろうかといささか張り切ります。
古さをたどってみると太平記を書いたとも言われる小島法師達は山伏集団だったともいわれていますが、この山伏達も下駄それも高下駄をはいているように描かれていますし、源平物語の牛若丸も五条の橋の上では下駄をはいて弁慶と戦っているように描かれています。
かなり古くから下駄はあったようです。もちろん、庶民はわらじなどを常用していたのでしょうから、下駄はある意味では特別なひとたちのものだったかもしれません。
田中与四郎(利休)さんの師匠の村田珠光は著書に客が茶室に入るときには庭石を下駄で来るのが良いと書いてあるそうです。
亭主が客の足音でその時々の気持ちを知ることができるからだというのが理由のようです。
今ではあまりそんな感じは致しませんが、下駄はなにか精神的なものを示す
象徴に使われたのかもしれません。
けがれのない物としてなら今でも板前さん達は厨房で下駄をはいていることが多いょうです。
水を使うからというのならゴム長でもよいのに下駄をはくのはやはりなにかありましょう。実際魚河岸のお兄ちゃんは大抵ゴム長をはいています。
下駄が日本独特の物ものかどうかについては現在の中国や韓国にないからといって日本の物とはいいきれません。
現代中国語では木(漢字が出ない尸の下に伎)とありますし、古典中国語には足下とあるそうでこれが足下-足駄-下駄と変化したとの説もあります。
木(尸伎)をキクツと読めばオランダ型や朝鮮の木靴を意味します。
でも、中国は漢字の国です。同じ靴でもその材料によりちゃんと字が作られているのです。
(尸復)は絹で作られた靴、(尸彳婁)は麻で、(革是)は皮でとちゃんと書き分けています。
(尸伎)はこれだけでも木製ですが、下駄なのか舟形をした薄いものもあったようですからル-ツについてはここまで追求できただけです。
日本最古の下駄の出土は登呂遺跡にあるそうで、田下駄であろうとされていますが、田で下駄を使用する場合は高下駄でなけれはあまり意味がなさそう
です。
しかし、高下駄かそうでないかは別の意味でも大事なことになります。
下駄には歯があります。この歯を別の木材で作るか一つの木から掘り出すかの違いが生ずるのです。
この辺の所は木工技術や木材の性質などのいわゆる職人の腕による部分が多くなるので触れません。
日本で登呂遺跡より時代は下がりますが、大量の下駄の出土した遺跡があります。
本来、木材の遺物は残りにくいのですけど、ここのものはなんと下駄だけでもものすごい数が出土しています。
広島県の草戸千軒町遺跡です。河の中州にあったことから木製品の保存が良く、平安時代からのものが沢山出ています。
これを見ると、差し歯下駄も高下駄もちびて草履のようになったもの、素材もさまざまな木材で作られていたことが分かります。
当たり前な話なんですけど、寿司屋の符丁で三のことをゲタメといいますが、この下駄の鼻緒を付ける穴の位置がみんな同じなんです。
下駄は日本で発明されたかどうかは判定できませんでしたが、日本で発達をとげたのは間違いないでしょう。現在でも使われているのですから。
ここまでは書いて述べたことがあります。そのときは日本の発明ではないかとも思ったことがありますが、新しい事が見つかりました。
唐の詩人李白の詩に「長干 呉児の女 眉目 星月よりも艶なり 屐上(:げきじょう) 足は霜の如く」とあるそうで、 この屐の字はすでに3世紀の記録では「木で作った履き物で、二枚の歯をつけたもの」とあるそうです。
さらに先端の頭部が方形のものと丸いものがあり、男女の使い分けがあったそうです。
「泥水に良い」ともあったそうですから、田下駄でもあったことなんでしょう。
でも、なんでかいつからか中国では使われなくなっていたのです。  
 

閲覧数2,811 カテゴリオメメの玉手箱 コメント6 投稿日時2008/09/01 10:49
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コメント(6)
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  • 2008/09/01 11:51
    jamjamさん
    旧1万円札に部分が使われていた聖徳太子像(両脇に童子を従えた図)では、記憶は定かではありませんが、木靴を履いていたように思います。
    わが家にある国宝・吉祥天女画像(薬師寺)の複製画でも、彼女は布製と見える靴を履いています。(添付画像)
    ということは、少なくとも奈良時代には下駄は発明されていなかったと思われます。ただ庶民はどうだったかは分かりませんが。
    次項有
  • 2008/09/01 14:40
    こむさんさん
    オメメさん

    同じように、下駄の由来に疑問を持った方がこんな事を調べていらっしゃいます。

    「屐上」で検索していたら見つけました。

    結果として、この方は一般的な使用からして日本由来としても良いのではと、見解を述べていらっしゃいます。 

    http://www.geocities.jp/iwa_kaz/trap004waraji.htm

    【草鞋】①稲草の靴(わらじ)②人字(鼻緒のついたぞうり)③屐(引きずって履くスリッパ式のはきもの④草鞋(植物繊維を編んだくつ)

    ⑤下駄 としてこのような記載をされている。

    鼻緒のついた履き物を中国人が履いているのを見たことはない。あまり一般的な履き物ではないようだ。
    たぶん日本の伝統的な履き物であるとして差し支えないかも知れない。
    事実、学研の「原色現代新百科事典」の「げた」の項を見ると、こう書いてある。

    「日本特有のしかも代表的な履き物として、古くから愛用されている。(略)弥生式時代の遺跡、静岡県登呂の遺跡から発見された水田用の田下駄が、下駄の祖形と考えられるが、これには歯がなく板状のものを足に縛り付け、耕作者が深田にしずむのを防いだ履き物であった。四~五世紀ごろから鼻緒が発達し、道を歩くときにも用いるようになったので、裏緒のふみきれるのを防ぐための歯が考案された。(以下略)」 江戸時代の百科事典の「和漢三才図会」巻三十に「履物類」として、詳細な説明がある。関心のある向きは、下記をクリックして見て欲しい。
    http://www.geocities.jp/iwa_kaz/wakan_footgear.htm

    といった事です。

    ちなみに、ウイキペディアでも日本固有の履き物といった風な記載がありました。
    次項有
  • 2008/09/01 16:23
     確かに韓国ソウル民族博物館に「ナマクシン」?(ハングルだったのでよく覚えていませんが)と呼ばれる木靴がありましたね。
    用途は、雪や雨の日に履いた木靴のようだったようですね。
    次項有
  • 2008/09/02 11:33
    オメメさん
    こむさんありがとうございます。やはり調べておられる方はいらっしゃるんですね。
    実は、南方熊楠が「シンダレラ物語」に中国には継母にいじめられていた少女が金魚をかっていたのを継母からみつかり、殺されます。
    その墓に祈っていたところ、あるとき河原で
    青年に声をかけられます。逃げ出す拍子に靴が脱げて、しまいます。(鷲がつかんで飛んでいたのを青年が射落としたとの話もあります)
    その青年はある国の王子でこの残された靴を
    たよりに少女を捜します。そして、その少女が葉限という名前だとわかり、無事に結婚する話です。
    そこには皮鞋とあったようです。岩の上を歩いても音がしなかった位軽かったようです。
    ということは鷲がさらっていた方が理屈としては合います。
    次項有
  • 2008/09/02 18:00
    こむさんさん
    オメメさん ありがとうございます。
    いろんな事をお教え頂き、本当にありがとうございます。

    >南方熊楠が「シンダレラ物語」に中国には継母にいじめられていた少女が金魚をかっていたのを継母からみつかり、殺されます。

    この下りに何となく興味がわいて調べてみました。わたしは以前に、田辺市にある南方熊楠の顕彰館に行ったことがあります。マルチ博物学者 熊楠さんの偉業をそこで初めて知りました。

    今回、調べていく中でシンダレラ物語がシンデレラ物語のルーツかなと思ってサーフしていますと、下記HPにたどり着きました。
    このホームページの作者さんは、このシンダレラ物語の説話について次のように論評をされていました。

    南方熊楠が《酉陽雜俎》の葉限に触れた「西暦九世紀の支那書に載せたシンダレラ物語」と言う論文が入っている『南方熊楠全集 3 論考』にふれるなかで、熊楠はこの論文で、シンダレラがシンデレラのルーツと論評を決してしておらず、世界を見渡してみると色んな説派があるが、その一つ一つに類似性がある書き記しが見つかるものだが、その中でもアジアにシンデレラに似た話として、シンダレラの中国説話があったと調べ世に発表したのは、ほかならぬ熊楠の偉業であるとの内容でした。

    (それに関しコピペした内容です)
    自分の理解が足りないからかも知れないんですが、この論文の主題はむしろ、説話のルーツ探しの方ではなく、世界各地に残る説話の類似性についての話のようです。シンデレラについての紹介の際も、英国の俚俗学会=フォークロア学会で、各国に残るシンデレラの諸種を集めた本の中にもなかった!という前置きで《酉陽雜俎》の葉限の下りを紹介している訳ですが、聲高にコレがシンデレラの源流だ!とか言っている訳ではなく、西洋のシンデレラの最古のモノがいつ頃書かれたかは知らないけれども、千年前にこの話を収録した段成式って凄くない?と言う方向で結んでます。また、シンデレラの類話の中から、ペドロソ『ポルトガル民話集』の井戸の中に放した魚と結婚する「かまど猫」という末娘の説話を紹介してます。また、靴の片方を落とすと言う話の類話については、ストラボンの書物に見える、西暦前600年頃の名妓・ロドペが入浴中に靴を鷲に持ち去られ、それを得た王が靴の小ささに惚れ抜いて、持ち主を捜索してロドペを娶るという話を紹介しています。

    http://sengna.com/log/eid1003.html
    次項有
  • 2008/09/03 09:56
    鉛筆オメメさん
    こむさん。私の話もだいたい同じような出典でした。
    ここにはふれられていませんが、このシンデレラの履については昔書いたことがあります。それを再度載せておきます。

    長年の謎であった。シンデレラの靴の話です。謎と言っても私がそう思っていただけなんですが,シンデレラ姫は王子様との舞踏会の後にガラスの靴を忘れて帰ってしまいその靴に合う女性を捜していると継母の娘が一生懸命努力しても駄目で竈の掃除をしていたシンデレラがぴったりと合ったとの内容ですからどなたも知っておられるでしょう。
      
    この靴がガラスで出来ていたとの話にとても興味が涌いたのです。ガラスの靴なんていまだかって実用になった試しはないのです。木靴はオランダでも有名です。
    けど,はたして,シンデレラがガラスの靴をなぜはいていたのか,女房に聞くと魔法使いが出したからでしょうと言いますし,子供に聞くとぴったり合った靴ならガラスの方が納得出来るといいます。ま。。                
    確かにこの二つの理由で説明がついてしまいますし,それ以上追求してもなんの意味もないのかも知れません。でも,この玉手箱のオメメは違います。    
    まず,シンデレラの話の元はどこにあるのか,その原本が分かれば解決するはずなんです。そこで,この話の元を探ってみました。所がどっこいこのシンデレラの話はなんと各国各地に300以上あるんです。どれが本物かの区別はとても出来ません。せ。                               
    例えば,中国に千年以上前に「西陽雑粗」と言う本に魔法使いの代わりに魚の精が出てきてシンデレラに相当する女性の名前が葉限となってます女性に同じ様に靴を穿かせて捜し当てる話がありますし,ポルトガルのペドロソなる作家によれば井戸のなかの魚に竈の掃除をしている娘がその精から授かった方法で靴を残して王子様の后になる話があります。さらに古くはストラボンと言う西暦紀元前6
    百年前の書には名妓ロドペと王子が水浴している時にロドペの靴を鷺が掴み飛び去り,残った靴を元にそのロドペを捜したとの話があるのです。       
    これらの話のなかでも,靴はガラスであるとは記載されていません,葉限の話の場合でも「その靴軽い事羽毛のごとく,石を踏むに声なし」とありますからとてもガラスではないでしょう。                       
    このように,簡単に疑問が解けると思ったガラスの靴は古典的にはほとんど記載がないのです,それに,もし紀元前の時代にガラスの靴が作られる可能性があったかとなると極めて疑問なのです,ベネチアでガラス器が作られたのはかなり時代が下がってからなのですから,人体の重量に絶える靴の強度はハイヒ-ルの場合でも大変なものでしょう。                       
    わりあい,くだらない事でも調べて行くと疑問は深まります,シンデレラがガラスの靴をいつから穿くようになったか,調べれば調べるほど分からなくなって来ます。                                 
    ただ,いまの王子様のイメ-ジのある城の形態が完成して,その城で舞踏会などが行なわれた頃のフランスでは石畳ですから,その当時の舞踏会では普通の靴ではなく,毛皮のスリッパの様な靴を穿いていたとの記載があります。それはそうでしょう。当時は舗装道路なんてありませんから,踊りの場では別の靴を穿いていた可能性は多いのです。                        
    さて,シンデレラがなぜガラスの靴を穿いていたかになります。これからはもっと考証を重ねなければなりませんけど,おもいしろい,一致があります。   
    それは,私はフランス語が得意ではありませんから,発音に関しては責任は持てませんけど,vair(毛皮)と言う言葉とerre(ガラス)と言う言葉は
    同じ発音なんだそうです。この事からシンデレラのガラスの靴はどうもこのフランス語あたりから間違えられたようで、う。                 
    いささか,しんどい百回目でした。これだけの事を調べるのに数十時間掛かったのです。でも,満足感もあります。この説はオメメのオリジナルです。でも,そんなに事実と変わりないと自負しています。ま。                


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