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先日、テレビを点けたら運よく、ドヴォルザークの交響曲8番ト長調、だった。 この交響曲を久々に全曲通して聞いた。 3楽章の4分3拍子、アレグレットの美しいメロディーは有名だし、数ある交響曲作品の中でも、特筆に値する名旋律だ。 8番の一楽章冒頭を聞くだけでも、ドヴォルザークが、モーツァルトと並ぶメロディーメーカーと呼ばれる所以が分かる。 3楽章のメロディーの美しさ、その甘美さは、ちょっと他に例を見ない見事さだ。 アンドレ・プレヴィンがベルリン・フィルを振っているのも懐かしい気がした。 アンドレ・プレヴィンと言えば、若い頃はジャ … [続きを読む] |
先日、日本舞踊の大師範とお話する機会があった。 「しの笛はよろしいな~ 私も大好きです。けど、難しいから、ピッしか音 出ませんな~」 私「しの笛も、尺八と同じですから、難しいと言えば難しいですね~」 日舞師範「でも、尺八は首振り3年、笛は一生 言いますやろ~」 なるほど、大師範ともなると、分野は違っても、よく分かっていらっしゃる、とちょっと感嘆した。 私「しの笛は長年吹き続けると、音が変わってきますし、歌い方にも深みが出てきます」 大師範「そうそう、そうでっしゃろ~」 舞も同じだろうと思う。 芸能、芸術は、取り組む年数によ … [続きを読む] |
「虚無の生」というとニーチェの「永劫回帰」が思い浮かぶ。 しかし、自分はニーチェに対して反論もある。 果たして「生」は「虚無」の永劫の繰り返しであるのかどうか・・・と。 西洋の哲学史、あるいは精神史において「神」は思考の支柱的存在だった。 しかしニーチェは「神」の欺瞞を白日のもとに晒し、「神の死」を宣告した。 当然のことながら、「生」の支柱を失った哲学、精神は虚無に陥らざるを得ない。 しかし、東洋仏教圏は「神」を持たない精神文化だった。 したがって、初めから「殺すべき神」が無かった。 しかし「末法思想」があって、西暦100 … [続きを読む] |
夕方のテレビニュースを見ていたら、東京杉並区の中学校の授業で、 「答えのない問題」に生徒達が取り組んでいる様子がレポートされていた。 これは素晴らしい試みだなあ、と暗闇に光明を見出したような気がした。 今までの教育、授業と言えば、答えのある問題を解く、マニュアルを身につける教育が主だったように思う。 数学、物理、化学・・・などの分野では正しい答えを導き出すことがまず第一だ。 しかし、社会に出て実際に仕事・生活をしていく段になった時、答えの無い問題に直面する事のほうが多い。 倫理、道徳、人間関係・・・などなど。 「生きていく … [続きを読む] |
誰でもよかった、という無差別通り魔殺人。 交通警官による飲酒運転、校長先生はじめ先生による児童猥褻、薬物濫用の蔓延・・・ 最近の社会はどう見ても、どこかネジが一本はずれている感がしてしようがない。 ニートや引き籠り、いじめ、なども含めて、社会全体がどうも妙になっているように思える。 若者の投げやりにも見える服装や、うわべだけの興味で動くブームなど。 この深奥を探っていくと、巨大な虚無に行き当たるような気がする。 社会を覆っているのは、きらびやかなブームやファッションや、笑いではなく、その裏返しとも言える、虚無感なのだろうと … [続きを読む] |
デカダンス、と言う言葉を頽廃的、という意味に捉えることが多いようだ。 そいういう風に捉えると、現代はまさにデカダンスの時代と見えないこともない。 薬物濫用の蔓延、享楽的な芸能番組、意味のない馬鹿騒ぎ番組や、イベント・・など。 人生を自由に楽しんでいるかのように見える乱痴気騒ぎも、裏返せば、虚無感と無力感であるように見える。 退屈と虚無感をなんとか忘れよう、逃れようとする、あがきのように見えない事もない。 日本は、ここ50年以上戦争のない時代を過ごしている。 生きんが為に必死に働く、食糧を手に入れる、という切迫感は無くなった … [続きを読む] |
日本の古代には、銅鐸文化圏と銅剣・銅矛文化圏が存在したことが知られている。 そして、銅鐸は宗教祭祀に用いられた、と言うことも定説になってきているようだ。 ところで、古代大和王権の勢力を示すものとして、前方後円墳の存在があげられる。 もうひとつ、大和王権の勢力を示すものとして銅鏡があげられる。 そして、大和王権の古代国家は宗教祭祀に銅鏡を用いた。 大和王権に服従しない勢力は宗教祭祀に銅鐸を用いていた。 大和王権の勢力の拡大と共に、銅鐸文化圏が消滅してゆく。 大和王権の宗教は首長霊信仰だった。皇祖神は天照大神。その象徴は鏡。 … [続きを読む] |
先日の篠山城観月園遊会で、日本舞踊の舞を見た。 名人の女性が一人で舞った、観月の舞だが、感銘を受けることが多かった。 同じ舞でも、花と艶のある舞がある。その人から溢れ出るものだ。 芸能、芸事に必要なのは、花と艶、ということは、よく耳にする。 それを目の当たりに感じたのが先日の舞だ。 これは、芸能としての、しの笛の演奏においても同じ事が言える。 しの笛奏者にも、花と艶のある人と無い人がある。 それは男女を問わない。 そして聴衆を惹きつけるのは、花と艶のある演奏だ。 これは、侘び寂と対立するものではない。 侘び寂の中にも、花と … [続きを読む] |
篠山市を訪れて、大手前展示場で、「篠山ふるさとの民謡祭り」のビデオを見た。 篠山は、全国に名の知れた、デカンショ節のふるさとだ。 地元の人たちの演奏と歌による、本場のデカンショ節には感動した。 踊り手も、菅笠に裾が揺れる美しい手さばき、足さばきで踊っている。 艶があって、しっくりと素晴らしい踊りだな~と、目が釘付けになった。 新しい振付だと聞いたが、素晴らしく美しい踊りと歌に感動した。 じかに見るともっと感動が大きいだろうな~と感じた。 地元の本場の正調デカンショ節・・・素晴らしいな~ |
姫路市内でホスピスコンサートを済ませて、一路、デカンショ街道を走って篠山市に向かった。 篠山城築城四百年祭・観月園遊会の、しの笛演奏に。 会場は、篠山城大手前。 お茶席、ふるまい汁、などがあり風情溢れる観月会だった。 篠山市長、教育長、文化協会長・・・なども迎えての宴遊会。 素晴らしかったのは、日本舞踊の舞。 名人の若い女性が一人で舞ったのだが、その所作といい動作の流れといい、素晴らしい舞だった。 金屏風と武家屋敷の白壁を背景に舞ったのだが、扇の所作といい、手さばき、足さばきといい、花があり、艶があり、見惚れるほど美しかっ … [続きを読む] |
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