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■2009年9月の書き込み
書き込み数は39件です。 [ 1 2 3 4 ]
2009年09月29日(火) 
先日、テレビを点けたら運よく、ドヴォルザークの交響曲8番ト長調、だった。

この交響曲を久々に全曲通して聞いた。

3楽章の4分3拍子、アレグレットの美しいメロディーは有名だし、数ある交響曲作品の中でも、特筆に値する名旋律だ。

8番の一楽章冒頭を聞くだけでも、ドヴォルザークが、モーツァルトと並ぶメロディーメーカーと呼ばれる所以が分かる。

3楽章のメロディーの美しさ、その甘美さは、ちょっと他に例を見ない見事さだ。

アンドレ・プレヴィンがベルリン・フィルを振っているのも懐かしい気がした。

アンドレ・プレヴィンと言えば、若い頃はジャ

閲覧数1679 カテゴリクラシック コメント2 投稿日時2009/09/29 23:53
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2009年09月29日(火) 
先日、日本舞踊の大師範とお話する機会があった。

「しの笛はよろしいな~ 私も大好きです。けど、難しいから、ピッしか音 出ませんな~」

私「しの笛も、尺八と同じですから、難しいと言えば難しいですね~」

日舞師範「でも、尺八は首振り3年、笛は一生 言いますやろ~」

なるほど、大師範ともなると、分野は違っても、よく分かっていらっしゃる、とちょっと感嘆した。

私「しの笛は長年吹き続けると、音が変わってきますし、歌い方にも深みが出てきます」

大師範「そうそう、そうでっしゃろ~」

舞も同じだろうと思う。

芸能、芸術は、取り組む年数によ

閲覧数872 カテゴリしの笛~音の彩 コメント0 投稿日時2009/09/29 23:25
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2009年09月29日(火) 
「虚無の生」というとニーチェの「永劫回帰」が思い浮かぶ。

しかし、自分はニーチェに対して反論もある。

果たして「生」は「虚無」の永劫の繰り返しであるのかどうか・・・と。

西洋の哲学史、あるいは精神史において「神」は思考の支柱的存在だった。

しかしニーチェは「神」の欺瞞を白日のもとに晒し、「神の死」を宣告した。

当然のことながら、「生」の支柱を失った哲学、精神は虚無に陥らざるを得ない。

しかし、東洋仏教圏は「神」を持たない精神文化だった。
したがって、初めから「殺すべき神」が無かった。

しかし「末法思想」があって、西暦100

閲覧数1090 カテゴリ教育、哲学よもやま話 コメント0 投稿日時2009/09/29 21:07
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2009年09月29日(火) 
夕方のテレビニュースを見ていたら、東京杉並区の中学校の授業で、

「答えのない問題」に生徒達が取り組んでいる様子がレポートされていた。

これは素晴らしい試みだなあ、と暗闇に光明を見出したような気がした。

今までの教育、授業と言えば、答えのある問題を解く、マニュアルを身につける教育が主だったように思う。

数学、物理、化学・・・などの分野では正しい答えを導き出すことがまず第一だ。

しかし、社会に出て実際に仕事・生活をしていく段になった時、答えの無い問題に直面する事のほうが多い。

倫理、道徳、人間関係・・・などなど。

「生きていく

閲覧数2044 カテゴリ教育、哲学よもやま話 コメント2 投稿日時2009/09/29 20:02
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2009年09月29日(火) 
誰でもよかった、という無差別通り魔殺人。

交通警官による飲酒運転、校長先生はじめ先生による児童猥褻、薬物濫用の蔓延・・・

最近の社会はどう見ても、どこかネジが一本はずれている感がしてしようがない。

ニートや引き籠り、いじめ、なども含めて、社会全体がどうも妙になっているように思える。

若者の投げやりにも見える服装や、うわべだけの興味で動くブームなど。

この深奥を探っていくと、巨大な虚無に行き当たるような気がする。

社会を覆っているのは、きらびやかなブームやファッションや、笑いではなく、その裏返しとも言える、虚無感なのだろうと

閲覧数2066 カテゴリ教育、哲学よもやま話 コメント2 投稿日時2009/09/29 09:47
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2009年09月29日(火) 
デカダンス、と言う言葉を頽廃的、という意味に捉えることが多いようだ。

そいういう風に捉えると、現代はまさにデカダンスの時代と見えないこともない。

薬物濫用の蔓延、享楽的な芸能番組、意味のない馬鹿騒ぎ番組や、イベント・・など。

人生を自由に楽しんでいるかのように見える乱痴気騒ぎも、裏返せば、虚無感と無力感であるように見える。

退屈と虚無感をなんとか忘れよう、逃れようとする、あがきのように見えない事もない。

日本は、ここ50年以上戦争のない時代を過ごしている。

生きんが為に必死に働く、食糧を手に入れる、という切迫感は無くなった

閲覧数1235 カテゴリ教育、哲学よもやま話 コメント0 投稿日時2009/09/29 01:34
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2009年09月29日(火) 
日本の古代には、銅鐸文化圏と銅剣・銅矛文化圏が存在したことが知られている。

そして、銅鐸は宗教祭祀に用いられた、と言うことも定説になってきているようだ。

ところで、古代大和王権の勢力を示すものとして、前方後円墳の存在があげられる。

もうひとつ、大和王権の勢力を示すものとして銅鏡があげられる。

そして、大和王権の古代国家は宗教祭祀に銅鏡を用いた。

大和王権に服従しない勢力は宗教祭祀に銅鐸を用いていた。

大和王権の勢力の拡大と共に、銅鐸文化圏が消滅してゆく。

大和王権の宗教は首長霊信仰だった。皇祖神は天照大神。その象徴は鏡。


閲覧数1207 カテゴリ歴史ロマン コメント0 投稿日時2009/09/29 01:02
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2009年09月29日(火) 
先日の篠山城観月園遊会で、日本舞踊の舞を見た。

名人の女性が一人で舞った、観月の舞だが、感銘を受けることが多かった。

同じ舞でも、花と艶のある舞がある。その人から溢れ出るものだ。

芸能、芸事に必要なのは、花と艶、ということは、よく耳にする。
それを目の当たりに感じたのが先日の舞だ。

これは、芸能としての、しの笛の演奏においても同じ事が言える。

しの笛奏者にも、花と艶のある人と無い人がある。

それは男女を問わない。

そして聴衆を惹きつけるのは、花と艶のある演奏だ。

これは、侘び寂と対立するものではない。

侘び寂の中にも、花と

閲覧数930 カテゴリしの笛~音の彩 コメント0 投稿日時2009/09/29 00:41
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2009年09月28日(月) 
篠山市を訪れて、大手前展示場で、「篠山ふるさとの民謡祭り」のビデオを見た。

篠山は、全国に名の知れた、デカンショ節のふるさとだ。

地元の人たちの演奏と歌による、本場のデカンショ節には感動した。

踊り手も、菅笠に裾が揺れる美しい手さばき、足さばきで踊っている。

艶があって、しっくりと素晴らしい踊りだな~と、目が釘付けになった。

新しい振付だと聞いたが、素晴らしく美しい踊りと歌に感動した。

じかに見るともっと感動が大きいだろうな~と感じた。

地元の本場の正調デカンショ節・・・素晴らしいな~

閲覧数944 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2009/09/28 11:33
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2009年09月28日(月) 
姫路市内でホスピスコンサートを済ませて、一路、デカンショ街道を走って篠山市に向かった。

篠山城築城四百年祭・観月園遊会の、しの笛演奏に。

会場は、篠山城大手前。

お茶席、ふるまい汁、などがあり風情溢れる観月会だった。

篠山市長、教育長、文化協会長・・・なども迎えての宴遊会。

素晴らしかったのは、日本舞踊の舞。

名人の若い女性が一人で舞ったのだが、その所作といい動作の流れといい、素晴らしい舞だった。

金屏風と武家屋敷の白壁を背景に舞ったのだが、扇の所作といい、手さばき、足さばきといい、花があり、艶があり、見惚れるほど美しかっ

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