金曜日の夜、夕食を済ませたころに由美から電話がかかった。 「今夜は居るの~ じゃ今から行くから」と言って切れた。 おいおい、こちらの都合はどうなんだよ。 俺は健次、由美とは高校の同級生。高校時代付き合いは無かったが、社会人になって通勤電車で顔を合わすようになってから、ちょくちょく俺のマンションに遊びに来るようになった。 美術大学卒でОLの彼女は、芸術談義が好きだ。 しかし、正統、まっとうなものではなく、その時々の鬱憤晴らしに喋りに来るだけのようにも思える。 やってきた由美は、「今日はコーヒーお願い」と言ってふかふかのソファーに沈み込んだ。 食後のコーヒーと言うことだろう。 由美は社会人だが、酒は飲まず、もっぱらコーヒー・紅茶なので、接待は楽なもんだ。 「なんで酒みたいな美味しくないもの飲むのかな~ 体質に合わないから飲めない子もいるのにさ。私、大学のコンパで気分悪くなったから、成人してから、酒はやめたわ」と言っている。 今日はアーサーフィドラー指揮、ボストンポップス管弦楽団のCDを軽く流しておいた。 これは親父が聞いていたレコードの復刻盤を見つけて買ったもの。 軽音楽風の軽いクラシックが続いていたが、ドラマチックなタンゴが流れ始めた。 ガーデ作曲の、ジェラシーだ。 さすがにクラシック通の由美もジェラシーは知らなかったと見えて。 「ドラマチックなタンゴね~ なんて曲?」 「ガーデのジェラシー、親父がよく聞いていたな~」 「ふ~ん、ジェラシーね~ 嫉妬よね。真っ赤に燃え上がる嫉妬、そんな感じの曲だわ~」 さすが由美は美大出身のせいか、音楽を色彩的に捉えるのがうまい。 「はは~ん、嫉妬の経験があるのか?」 「ないこともないわよ。でも嫉妬っていやな感情じゃない? 私ね~嫉妬することは滅多にないけど、嫉妬されるタイプみたい」 確かに由美は美人だ、スタイルはいいし、話のセンスもいい。頭も切れる。・・・とくれば、なるほど嫉妬されるほうか、と思う。 「嫉妬ってね~ ただの焼きもちで収まらないところがやっかいなのよね。そこに嫉妬の嫉妬たる所以がある」 おいおい、今日は嫉妬についての講義かよ~ 「嫉妬はある意味、女の張り合いみたいで一見、カッコ良さそうに思うじゃない? 女の闘いよね。美しさを張り合う、器量を張り合う、男を張り合う」 なるほど、女の闘いね~ 「ところが対等に張り合えない所に嫉妬という感情が起こるからやっかいなの。つまり、一人相撲よね」 一人相撲? 「嫉妬は決して、相手が自分より勝っているから、自分も相手に負けないくらいに自分を磨こうとは思わないのよね~ 相手を自分の位置まで引きずり降ろそうとしか考えないから厄介なのよね。 それが嫉妬の本質と言うものよ」 へ~由美も分かったようなことを言うじゃない。 「だから、嫉妬はね、相手に嫉妬を感じるのは、相手が自分より優れていると認めていると言うことなの。 だから、相手を自分の境遇にまで落としめたいと思う、暗い情念なのよね~」 ガーデのジェラシーも真っ赤に燃え上がるように嫉んだかと思うと、暗い情念のようなものが流れる・・・そんな曲想だ。 はからずも、由美の、嫉妬に関する講義を拝聴していると、ガーデのジェラシーがよく分かるような気になる。 「だからさ、嫉妬は、決して自分は相手の高みにまで向上しようとは思わず、相手を自分の位置まで引きずり落としたい、と言う醜い感情なのよね。だから、誰かに嫉妬を感じた時は、すでに自分の負けを認めているってことよね」 ほう~ 言ってくれましたな~ でも、その通りだよな~ でも、男には嫉妬はないぜ。 「健次は男の嫉妬をどう思う?」と見透かしたように由美が聞いてきた。 「男には嫉妬なんかないよ。ねちねちしないで、勝負するか、あっさり負けを認めるね一応。それから、クソ負けるもんかと一念発起だなあ」 「あ~それは健全な男子ね。健次は健全だわ」 あったりまえだろ~ 由美に言われなくても。 「でもね~ 嫉妬ってね、実は男のほうがタチが悪いのよ。女の嫉妬は真っ赤だとしたら、男の嫉妬は真っ黒けなんだもの。そう言う意味でも、男って単純で下らない生き物みたいなところがあるわね」 こいつは聞き捨てならん、と思ったが、でも実際そうだよな~ 男の社会も、真っ黒けの嫉妬が渦巻いているよなあ。 由美って、俺と同級生のはずなのに、なんでこんなに人間の感情がよく分かるのかなあ。 女なのに男の感情分析もやってのけるしな~ 男の俺が、女の由美に嫉妬してどうするんだよ。と思ったが、いやいや、これは、由美の方が一枚上手だと認めるほうが男らしくていいんじゃないか。 どうも、こういう話になると由美には一本とられた格好になる。 ボストンポップスオーケストラの演奏は、ジェラシーから、ドナウ川の漣に変わっていた。 <aoitoriのショート・ショート 14> 作aoitori |