1,335万kW/1,911万kW (09/22 04:05)
69%
■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://hyocom.jp/blog/blog.php?key=128577
2010年04月21日(水) 
教育の目的というと、括りが大きすぎて諸説百出で収拾がつかないことになるだろう。

知識の習得、読み書き計算能力、専門技術に至る基礎づくり・・・などなど。

現在の教育と教育現場の荒廃を目にすると、教育が忘れている事があるような気がしてならない。

倫理観の無い医学者、科学者、経済人。利己的にしか物事を考えられない親達。仲間をいじめて痛みを感じない子供達。
国民の税金を自身の多額の報酬として取り込む、あきれた公務員・官僚達。

毎日報道される、殺人、汚職、天下りに渡り、人権を侵害するまでに深刻化してきた、収入格差、学歴格差の問題。
果ては破廉恥教師に、破廉恥警官に公務員。

世の中、なんでこれほど荒廃してしまったんだろうと、唖然とすることが多い。

人間がおかしくなっている、という風に見えてしようがない。それは教育者も子供達も大人達も。

詮ずる所は、教育がおかしいとしか思えない。

枝葉末節は置いておくとして、教育の目的はズバリ、人間力の育成と言って良いと思う。

より良く生きる能力を育てる。よりよい人間を育てる。つまりは総合的な人間力の育成。

知識、技術の習得しか教えない教育は、ある意味、教育に値しないと思われる。

人生は「解答の無い問い」の連続の中を生きなければならない。

試験問題の解答を説くだけの教育、知識を詰め込むだけの教育では、生きる力が育たない。

それと、創造力。生きるとは日々、自ら問いを発し、思考しながら創造的に生活する営みであると言える。

そこに必要なのは、問いを発する技術、創造的思考を展開する技術。

これは、ある意味、哲学をする、という事にあたる。

知識や技術を教え込むだけが教育とは言えないだろう。

自ら、よりよく生きることを、よりよい人間になろうとすることを、自発させ育むのが、教育の大前提であろうと思われる。

もちろん「よりよく生きる」とはどういうことか、「よりよい人間になる」とはどう言うことか、多様な価値観と意見がある。

それに対して、自ら問いを発する能力、自身で思考を展開する能力を育むのが、教育であろうと思われる。

教育の崩壊、教育現場の荒廃を見る時、あらためて考えさせられるテーマではある。

閲覧数511 カテゴリ教育、哲学よもやま話 コメント0 投稿日時2010/04/21 07:52
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
aoitoriさん
[一言]
心がなごむ、心が通う 輪を! 千客万来、友達歓迎!
■この日はどんな日
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み