教育の目的というと、括りが大きすぎて諸説百出で収拾がつかないことになるだろう。 知識の習得、読み書き計算能力、専門技術に至る基礎づくり・・・などなど。 現在の教育と教育現場の荒廃を目にすると、教育が忘れている事があるような気がしてならない。 倫理観の無い医学者、科学者、経済人。利己的にしか物事を考えられない親達。仲間をいじめて痛みを感じない子供達。 国民の税金を自身の多額の報酬として取り込む、あきれた公務員・官僚達。 毎日報道される、殺人、汚職、天下りに渡り、人権を侵害するまでに深刻化してきた、収入格差、学歴格差の問題。 果ては破廉恥教師に、破廉恥警官に公務員。 世の中、なんでこれほど荒廃してしまったんだろうと、唖然とすることが多い。 人間がおかしくなっている、という風に見えてしようがない。それは教育者も子供達も大人達も。 詮ずる所は、教育がおかしいとしか思えない。 枝葉末節は置いておくとして、教育の目的はズバリ、人間力の育成と言って良いと思う。 より良く生きる能力を育てる。よりよい人間を育てる。つまりは総合的な人間力の育成。 知識、技術の習得しか教えない教育は、ある意味、教育に値しないと思われる。 人生は「解答の無い問い」の連続の中を生きなければならない。 試験問題の解答を説くだけの教育、知識を詰め込むだけの教育では、生きる力が育たない。 それと、創造力。生きるとは日々、自ら問いを発し、思考しながら創造的に生活する営みであると言える。 そこに必要なのは、問いを発する技術、創造的思考を展開する技術。 これは、ある意味、哲学をする、という事にあたる。 知識や技術を教え込むだけが教育とは言えないだろう。 自ら、よりよく生きることを、よりよい人間になろうとすることを、自発させ育むのが、教育の大前提であろうと思われる。 もちろん「よりよく生きる」とはどういうことか、「よりよい人間になる」とはどう言うことか、多様な価値観と意見がある。 それに対して、自ら問いを発する能力、自身で思考を展開する能力を育むのが、教育であろうと思われる。 教育の崩壊、教育現場の荒廃を見る時、あらためて考えさせられるテーマではある。 |