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2016年06月13日(月) 
「教育の方法には、無味乾燥な詰め込み式の方法と哲学的な方法がある」と、

ウィリアム・ジェームスが「一般教育論」に述べている。

前者の方法にしたがう学生は「特定の仕事をなしとげる道具として一級品になるかもしれないが、「一般教養」という言葉から連想するような優雅な心をすっかり失い、いつまでも野卑なままであろう。
つまり、狭い専門分野に知識の視界をかぎった、融通のきかない、体験の枠を超えてものごとを想像できない、およそ想像力とか雰囲気とか見通しとかいったものの欠けた人間にとどまるだろう・・・と述べている。

ウィリアム・ジェームスは1842~1910に生きた人物であるが。

彼の言葉を吟味してみると。
あれ?現代はこんな人がすごく多いよなあ、とすごく思い当たる。

いやいや、現代日本人はほとんどこういった大人達ばかりだなあ、と思うこともある。

こういった大人社会を変えていくには「子供達を善く」する「哲学的方法教育」に期待したいと思う。

またジェームスは

「哲学的精神は、あらゆる問題をめぐって思索をこころみようとする気構えに満ち溢れている。それは、わたくしたちを生来の独断のまどろみから目醒めさせ、こりかたまった偏見を打ち破る。
それは歴史的にみると、つねに科学、詩、宗教、倫理という4つの異なった人間的関心のあいだに行われる相互の受精作用のようなものであった」と述べている。

そして「君は何か哲学をもっているか?という問いをわたくしたちはつねにたがいにかわしあうべきではあるまいか。自分の哲学をまったくもたない人は、つきあう仲間のなかでも、もっともめぐりあわせのわるい無益な仲間である」とも述べている。

なるほどなあ。100年前に、現代人を見透かしたような良いこと言ってるなあ。

まったく同感です。

ところで、私にとっては「持つべき友。ものくるる友、薬師(兼好法師)」も、とても有益な仲間なのです。

閲覧数351 カテゴリ教育、哲学よもやま話 コメント0 投稿日時2016/06/13 12:40
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