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2008年11月18日(火) 
日本書紀は編纂過程において、邪馬台国と卑弥呼を削除して記述するような方針が取られた、という説を読んだ。

この説も非常に興味深い。

なぜ日本書紀は卑弥呼を隠したのか。その必要性はどこに。

その説によると、伊都国は熊襲を滅ぼし九州の統一がなされた。

この熊襲が実は、倭の宗主国・邪馬台国であったようなのだ。

そうなると、ヤマトタケルの熊襲征伐は大和朝廷の成立と日本国の建国過程と見ることができる。

倭の宗主国を滅ぼして九州を統一した伊都国は、出雲・北陸を統一する勢力~出雲王朝を押さえ(出雲・オオクニヌシの国譲り)大和朝廷へと発展した。

この経過から、日本書紀は編纂方針として、邪馬台国と卑弥呼を抹消することにした・・・と。

魏志倭人伝では「親魏倭王」として倭国の宗主と認めた卑弥呼の邪馬台国を滅ぼした国が、後の大和朝廷になったのだとしたら、これは非常に説得力がある。

後漢書、魏志倭人伝・・・など中国の正史が伝えるところと、日本書紀の記述に整合性がない・・・この謎は、そんなところに解明の糸口があるのかもしれない。

閲覧数1,186 カテゴリ歴史ロマン コメント0 投稿日時2008/11/18 01:17
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