病原菌やウイルスの名前じゃないです。星座「射手座(サギタリウス)」京都産業大学の校章です。
京都産業大学は1965年に経済学部と理学部の2学部体制で創立された比較的新しい大学で、開学3年目で文系・理系5学部体制(法学部・経済学部・経営学部・外国語学部・理学部)となり、異例のスピードで総合大学に発展しました。
そのころちょうど従兄弟が入学したのですが、推薦してもらうより、前の階段お方がシンドイなんて言ってたのを思い出します。
それが今は学生数13,000人ほど、8学部・7研究科を設置するまでになっています。
さてその京産大のある神山キャンパスですが、上賀茂の風光明媚なといえなくも無いですが、正直に言えば京都の北のど田舎でした。
今ではマンモス大学が増え、当たり前のようですが、何しろゴルフコースより遠いという感覚は当時の学校のイメージを一新しました。
当事の大学のイメージは吉田の京大、今出川の同志社、広小路の立命でした。
そして1966年に宝が池に出来た国立京都国際会館とともに、その後の京都の北の開発に大きな影響をもたらしました。
京都産業大学は開学以来、大学機能の一拠点化構想に基づいて文系・理系全学部をひとつのキャンパスに集中させるスタンスを貫き、情報の京産として発展するだけではなく、都市の形態にも大きく影響しました。
けど・・・って書きたいことはたくさんあります。(爆・・