ランニングを始めた20年(2008年)9月以来、6年5ヶ月(7シーズン)で、 計21本のフルマラソンを走りました。 その後、ランナーを引退し、トライアスロン生活に入りましたが、 鹿児島マラソンには28年(2016年)第1回大会以来、4回連続出場。 しかし、 それぞれの記録は以下の通り。 (PB=自己ベスト、☆=ネガティブスプリット) 1 21.3 荒川市民 5:06'23" (初フル) 2 21.9 小金井公園 3:52'17"☆(PB)(初サブ4) 3 21.11 つくば 3:37'27" (PB) 4 22.9 小金井公園 3:48'13"☆ 5 22.11 大田原 3:12'35" (PB)(初サブ3.5) 6 23.1 いぶすき菜の花 3:44'27"☆ 7 23.4 戸田彩湖 3:52'48"☆ 8 23.9 小金井公園 3:45'01"☆ 9 23.10 しまだ大井川 3:10'57"☆(PB) 10 23.11 つくば 2:56'13"☆(PB)(初サブ3) 11 24.3 板橋シティ 3:54'04"☆ 12 24.11 富士山 3:38'21"☆ 13 24.12 年の瀬 3:20'00"☆ 14 25.2 別府大分 2:55'32"☆(PB) 15 25.3 京都 3:56'05"☆ 16 25.11 つくば 3:38'37"☆ 17 25.12 年の瀬 3:26'38" 18 26.2 別府大分 3:09'27" 19 26.11 大田原 3:26'06"☆ 20 26.12 年の瀬 3:14'17"☆ 21 27.2 別府大分 DNF 22 27.10 大阪 3:20'17"☆ 23 28.3 鹿児島 3:26'50" 24 29.3 鹿児島 3:56'27" 25 30.3 鹿児島 4:44'29" 26 31.3 鹿児島 3:53'32"☆ 27 6.3 東京 4:43'21"(ネットタイム) 計 27本 内訳 サブ3:2本、サブ3.5:9本、サブ4:12本、サブ5:2本 ネガティブスプリット:17本、PB:6本 初フルが5時間6分で、2回目でサブ4達成。 そこからは、練習レースは別として、 勝負レースでは走るたびに自己ベストを更新し、 初フルから2年8ヶ月で、一気にサブ3を達成しました。 サブ3といっても、ギリギリの3時間切りではなく、 2時間56分台を出してしまったので、 さすがにもうこれを上回るのは難しいな、と思いました。 それでも、3ヶ月で10回のポイント練習と、 間を疲労抜きジョグでつなぐ練習メニューには自信が持てたので、 満を持してサブ3のカテゴリー2でエントリーした、 25年2月の別大に向けては、同じ練習を余裕を持ってこなせるよう、 集中して練習しました。 結果、全ての5キロごとラップが20分台、 後半が前半より2秒早いネガティブスプリットという、 自分でもほれぼれするような内容で、2時間55分台を達成。 この年のランナーズの年代別ランキングでは63位に入りました。 フルマラソンの記録はここが頂点。 翌シーズンも同じメニューでサブ3の再現を狙いましたが、 かろうじて3時間10分切りに終わり、その次のシーズンはDNF。 それでも、運動神経のない私が、一度きりのつもりで始めた フルマラソンを、よくこのレベルまで到達できたと思います。 ネガティブスプリットが多いことも、誇りに思っています。 自分の力を正確に把握していなければできないことですから。 フルに向けての練習方法も、 3ヶ月かけて、ロングのペース走を繰り返しながら、 3本のフルを徐々にペースを上げて走っていくというのは、 なかなか自分にあったいい方法だったな、と思っています。 ランナー時代は、出場するレースは、ほとんど、 記録狙いのための勝負レースか、そのための練習レースだったので、 アップダウンが多いコースや、スタートロスが大きいレース、 人が多くて走りにくいレースなどには、あまり出ようという気が起きませんでした。 ランナー引退後は、鹿児島マラソンに4回連続で出場。 かつての勤務地で、知り合いも多いので、どちらかというと、 大会前後の飲み会がメインでした。 それもコロナ禍での大会中止で途切れ、 フルマラソンを走らない年が5年続きましたが、令和6年(2024年)に、 16年目に初当選した東京マラソンに初出場。 もうフルマラソンは走らないかもな、とは思っていたのですが、 マラソンを始めたきっかけである東京マラソンについては、 エントリーだけは続けていたのです。 27戦目のフルマラソンは、好天と途切れぬ沿道の声援の中、 家族も総出で応援してくれて、時間はかかりましたが、楽しい一日になりました。 |